「ひまわり」や「夜のカフェテラス」を描いた画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90年)。現代では誰もが知る「巨匠」だが、そんな「ゴッホ」に彼がいかにしてなったのか。故郷オランダを訪れ、その足跡をたどった。
ベルギーに接するオランダ南部、北ブラバント州ズンデルトでゴッホは1853年、父テオドルス・ファン・ゴッホと母アンナの長男として生まれた。死産だった兄と同じ「フィンセント」の名を受け、5人のきょうだいとともに16歳までここで育った。生家があった目抜き通りには背の高い街路樹、数軒の飲食店やスーパーマーケットが並ぶが、端まで歩いても10分ほど。そんな小さな村でゴッホは自然へのまなざしと宗教心を育んだ。
生家跡は博物館「フィンセント・ファン・ゴッホハウス」となっている。気さくなロン・ディルフェン館長が出迎えてくれて、甘いクッキーとともに解説が始まった。生家は「ゴッホ没後に取り壊され、(後にゴッホハウスとなる)牧師館が建設された」。井戸だけが残っていて、土産物として井戸水が売られていた。
ゴッホの父と祖父はプロテスタントの牧師で、王室が、カトリックが多かった南部にプロテスタント信仰を広げようと祖父をここに送り込んだのが始まり。暮らしぶりは中流だった。
父が勤めた教会は同館の近くで、訪れると、当時の聖書が今も礼拝に使われていた。敷地内の墓地には兄フィンセントが眠っている。
ゴッホは短期間、公立学校に通ったが、「教育水準の低い学校には通わせられない」という親の方針で、女性家庭教師が付けられた。ドイツ語やフランス語、生物、地理などを学び、彼女の親が画家だったことから美術も習った。1864年、その指導の下、父の誕生日に絵を贈ったという。
生家の庭でゴッホは長い時間を過ごした。「虫たちと遊んだり、砂の城を作ったり。安心できる場所が庭だった」とディルフェン館長は説明する。庭作りは母の仕事だった。「その後、難しい人生を歩んだゴッホにとって、ズンデルトでの、母の愛や自然の豊かさに触れ、何の心配もいらなかった時間は大切な思い出だったはず」
同館から車に乗って少し行くと、「ゴッホが野鳥本を手に散策した」という広い平原があった。かつては泥炭を船で都市へ運んだという水路が走る。オークなどの木々が青々と茂り、放牧の牛たちが自由に行き交う-。後年ゴッホは弟テオへの手紙に、この「ブラバントの草原」のような自然が自身の原風景と書いた。
母の自然への愛と、父が語る神の言葉が身近だった幼少期の「自然の中に神が宿っている」という価値観が後の画風に大きな影響を与えた。ディルフェン館長は言う。「そのエッセンスが生まれ、築かれたのがズンデルトです」
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20日、神戸市立博物館(同市中央区京町)で「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」(神戸新聞社など主催)が開幕する。ゴッホゆかりのオランダの地を巡り、芸術家としての成長の足跡を記者の目で確かめた。(安藤真子)