法然に念仏を授けられて、川に身を投げた5人の遊女を葬ったと伝わる遊女塚。花束や飲み物が供えられている=尼崎市神崎町、梅ケ枝公園
法然に念仏を授けられて、川に身を投げた5人の遊女を葬ったと伝わる遊女塚。花束や飲み物が供えられている=尼崎市神崎町、梅ケ枝公園

 遊女の歴史などを通してかつての女性の境遇などを学ぶ講座が、尼崎市南武庫之荘3の市女性センター・トレピエで開かれた。市立歴史博物館の辻川敦さん(63)らが登壇し、平安時代、同市の神崎川にいた「神崎遊女」など教科書に載っていない歴史を伝えた。(池田大介)

■公園に塚、後白河法皇や法然との逸話も

 市民らでつくる「尼崎女性史誌をつくる会」が主催。同会は戦後の女性の歩みを中心に調査を進めており、冊子「尼崎おんなたちの軌跡」などを発行してきた。今回の講座は神崎遊女を通して当時の女性の生き方などを知ろうと企画され、約30人が参加した。

 現在の同市神崎町付近は都と西国をつなぐ水上交通の要所として栄え、古代から中世にかけて神崎川には小舟をこいで客を求める遊女が多くいたとされる。平安時代の学者大江匡房(おおえのまさふさ)が記した「遊女記」には「天下第一の楽地」として記されており、後白河法皇が「かね」という神崎遊女から歌謡を習っていたとの逸話もある。

 辻川さんは「遊女記」でさまざまな遊女の名前が記されていると紹介。「中世を生きた女性の名前は貴族でもあまり残っていない。尼崎周辺にいた庶民の女性の名前が伝わっている希少な例」と指摘した。

 また、同市神崎町の梅ケ枝公園内にある遊女塚についても解説。この塚は約800年前、神崎に立ち寄った浄土宗の祖・法然に罪をざんげして川に身を投げた5人の遊女を葬ったものと伝わる。同様の伝承はたつの市御津町室津にもあり、「どこかで元になる話が実際にあり、派生していったのではないか」と話した。

 講座を受けた小川和子さん(71)=尼崎市=は「生まれも育ちも尼崎だが、全く知らなかった。負の歴史かもしれないが、遊女がいたことは伝えていかなければならない」と話した。