「何よりも空腹感がつらく、畑泥棒は生きる知恵だった」。7歳で終戦を迎えた兵庫県姫路市の黒田宏さん(83)は、当時の暮らしをそう振り返る。「時代が違う」と子どもたちにも体験を語ることはなかったが、戦後76年が過ぎ、「覚えているうちに伝えなければ」との思いが募った。「幼い子どもが体験した戦争を知ってほしい」という黒田さんに話を聞いた。(安藤真子)
黒田さんは現在の福崎町東田原に生まれ、敗戦時は国民学校の2年生だった。自作したわら草履を履き、防空頭巾を持って約2キロ先の学校に走って通った。
終戦間際には、食料を確保するために校庭も畑となった。子どもたちも近くの田んぼでバケツに土を入れて運び、畑づくりを手伝った。育ったサツマイモやジャガイモは校庭に火をおこし、焼いて食べた。
貧しさは戦争が終わっても続いた。育ち盛りの少年たちは遊ぶとおなかがすき、4~5人で畑泥棒をするようになった。盗んだマクワウリは石にたたきつけて割り、仲間と頬張った。「悪意はなく、空腹で自然と手を出してしまった」と話す。牛の世話をし、川で魚を捕る。家計を助けるために働くことも日常だった。
電車に揺られ、一度だけ、五つ上の兄と大阪の闇市へ自宅の米を売りに行ったこともあった。車内では米を盗まれないよう、通路で米に腰を掛けた。降り立った駅は、周辺一帯が闇市。「いつ襲われるかと心配になるほどだった」。1升を小分けにした米は、あっという間に高値で売れた。
「空腹感に悩まされることがなくなったのは、小学校高学年の頃」と記憶する。中学卒業後、呉服店や家具店で修業し、29歳で独立。3人の子どもにも恵まれたが「時代が違いすぎて理解できないだろう」と話をすることはなかった。
だが、記憶を継承しようと戦争体験者が新聞などで語るのを目にするうち、「伝えたい」という気持ちが湧いた。「聞いてくれる人がいてこそ、伝えられる」と黒田さん。これからは「機会があれば孫や小学校での講話で話してみたい」と考えている。

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