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山陽電鉄の線路切り下げに伴って掘り下げられた市道高尾線。緩やかな坂道を車が行き来する=姫路市久保町(撮影・大山伸一郎)
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山陽電鉄の線路切り下げに伴って掘り下げられた市道高尾線。緩やかな坂道を車が行き来する=姫路市久保町(撮影・大山伸一郎)
高架化直前のJR姫路駅西側。工事中の在来線を貫くように切り下げ前の山陽電鉄が走る(2006年3月13日撮影)
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高架化直前のJR姫路駅西側。工事中の在来線を貫くように切り下げ前の山陽電鉄が走る(2006年3月13日撮影)

 JR姫路駅(兵庫県姫路市)北から西へ、市道高尾線を車で走る。途中、山陽電鉄の高架橋が頭上に迫り、同時に道路も微妙にへこんだ気がした。車を止めて確認すると、高架橋をくぐる部分が、緩やかな坂になっている。「水深60センチ」「水深30センチ」。路面には冠水時の注意を促す表示も見える。

 「以前は平らな道だった。掘り下げて傾斜をつけたんやな」。市職員として16年ほど姫路駅周辺の高架化事業を担当した中川吉郎さん(61)=現・姫路科学館長=が教えてくれた。

 なぜ坂道にする必要が生じたのか。その答えを探すには、高架化事業の歴史をひもとく必要がある。

 山電は元々、新幹線の高架をくぐり、地上を走るJR在来線の上を通って山陽姫路駅へ向かった。だが、在来線が高架化されれば互いの線路がぶつかってしまう。それゆえ、移設を求められた。

 市が出した答えは、在来線との位置関係を逆転させる方法だった。山電の線路を西へ数十メートル移し、高架橋の高さも従来より低くして在来線の下をくぐらせる。線路を切り下げる方式で、2002年に県や山電と基本協定を結んだ。

 この決定が高架橋の下を通る高尾線に影響した。「山電の線路が下がると、高尾線との間に十分な高さを確保できなかった」と中川さん。大型車両も通行できる空間をつくるため、最大約1メートルの掘り下げが決まった。

 市などは高尾線の工事を終えてから、新しい高架橋を完成させた。06年3月、山電の線路が切り替わり、交差部は現在の形となった。

    ◇    ◆

 山電の移設先を巡り、市は長年、別の手法も検討していた。姫路駅や線路を地下に移し、駅西地区のまちづくりを進める計画だ。

 きっかけとなった構想がある。ちょうど30年前の1992年、姫路商工会議所が打ち出した。「山電の軌道で駅西地区が分断されている」とし、街の再開発に向けて地下化を提案した。

 市は5年近く可否を探り、一時は前向きな姿勢を見せた。だが、切り下げ方式より約190億円も負担が増える影響を重く見て断念。03年に初当選した石見利勝・前姫路市長も可能性を探ったが、財政負担の壁は厚かった。

 「地下化は線路跡を活用できる利点もありました」。姫路市の1級建築士、坂本直義さん(67)が振り返る。切り下げが決まった後、市民グループの一員として市や地域住民らに地下化の必要性を訴えた。線路跡に往時の城下町を再現する構想も示した。

 思いは届かず、山電の新軌道は駅西地区を縦断した。市は駅東を中心に大規模整備を進め、駅西は取り残される。山電のガード下に軒を連ねた山陽商店街では、高架化事業を機に多くの店が移転や廃業を決めた。

 呉服店を営んでいた松岡時康さん(73)=福崎町=もその一人。89年から同商店街連盟会の会長を務め、地下化を訴えた。

 「姫路城を三角形の頂点に、東西一体の開発ができると考えていた。山電を延伸して、アクリエひめじの近くに駅を設置できたかもしれないなあ」

 駅周辺の街並みの変化を複雑な思いで見つめる。(田中宏樹)

【山陽電鉄の地下化】1992年に姫路商工会議所から提案を受け、姫路市が市道高尾線やJR在来線の地下に線路を通す案を検討。新駅は現在のJR、山電の中間地点に設ける計画だった。県が事業主体になることなども視野に入れたが、実現に至らなかった。97年2月に線路の「切り下げ」方式を決定。その直後、地元自治会が地下化を求める5万人分の署名と陳情書を市長に提出したが、方針は変わらなかった。

【バックナンバー】
(1)城を見通す絶景、どうやって実現?

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