神戸

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初代県庁が置かれたことを示す兵庫津の石碑=神戸市兵庫区切戸町
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初代県庁が置かれたことを示す兵庫津の石碑=神戸市兵庫区切戸町
開港に際して日本と諸外国とが交わした条約。「兵庫」「神奈川」の文字が見える(国立公文書館デジタルアーカイブ「五ヶ国条約并税則」より)
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開港に際して日本と諸外国とが交わした条約。「兵庫」「神奈川」の文字が見える(国立公文書館デジタルアーカイブ「五ヶ国条約并税則」より)

 神戸と横浜はいずれも国際港湾都市として発展してきたが、もう一つ、不思議な共通点がある。

 「兵庫県神戸市兵庫区」と「神奈川県横浜市神奈川区」という紛らわしい行政区名の存在だ。どちらも19世紀半ばに港が開かれたという観点から、その背景を解きほぐすことができるという。

 「神戸は歴史が浅いとよくいわれますが、それ以前に兵庫津(ひょうごのつ)という大きな港町があったことを忘れてはいけません」

 居留地の歴史に詳しい神戸大学名誉教授の神木哲男さんは言う。

 平清盛が良港として着目した中世以降、北前船の寄港地となった兵庫津(現在の兵庫区南部)は大いに発展した。

 「兵庫津の実績があったからこそ欧米諸国もこの地の開港を求めたわけです」

 京都や大阪に近く、港としての実績がある兵庫。その証しとして、幕末に日本が諸外国と交わした条約では、開港場所は神戸ではなく「兵庫」と明記された。もちろんそうせざるを得ない理由もあった。

 「当時は神戸といったところで、外国人はおろか日本人でもどこか分からないような寒村でした。だから兵庫の辺り、ぐらいの意味で、外国をだまそうなどといった意図はなかったんじゃないかな」

 結果的に東側の神戸港が開かれることになったが、港町としてのDNAは兵庫から受け継がれた。

 一方、兵庫津には民家などがひしめき、居留地を設けられる余裕はなかった。初代県庁が置かれるなど歴史的に見れば県名の「兵庫」には大きな背景がある。しかし、開港場所が東の神戸村近くとなり、やがてそちらが発展したため、神戸市が中心(県庁所在地)となった。

 まさに横浜も同じような流れをたどった。条約上は「神奈川」の開港が示されたが、神奈川宿として発展していたこともあって、近くの横浜が開港。神戸のように発展して現在の中心地になったという。

 今も残る行政区名を見ると、「神戸と横浜との違いを探すのに苦労する」と話していた横浜外国人居留地研究会の斎藤多喜夫会長の言葉を思い出す。(安福直剛)

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