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兵庫区内にある3体の平清盛像。ゆかりの深さが分かる
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兵庫区内にある3体の平清盛像。ゆかりの深さが分かる
「築島寺」とも呼ばれる来迎寺。経が島に関する伝説が残る=神戸市兵庫区島上町2
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「築島寺」とも呼ばれる来迎寺。経が島に関する伝説が残る=神戸市兵庫区島上町2
湾内に多くの船が停泊している兵庫津の絵図(若林秀岳「神戸覧古」より。神戸市立中央図書館蔵)
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湾内に多くの船が停泊している兵庫津の絵図(若林秀岳「神戸覧古」より。神戸市立中央図書館蔵)

■5万人動員し人工島築く

 神戸ゆかりの歴史上の人物といえば、やはり平清盛(1118~81年)。神戸市兵庫区北部の平野周辺に福原京を築き、わずか半年間だが神戸が日本の首都になったという話はよく知られる。

 同区南部の兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれた地域にも清盛絡みの史跡は多く、関わりが深かったことが分かる。

 「権力者として初めてこの地に着目したのが清盛なんです」。神戸大学名誉教授の神木哲男さんが教えてくれた。清盛は、天然の良港、兵庫をいち早く修築したとされる。神木さんは「極悪非道の人間と言われているが、先見の明がありました」と指摘した。

 天然の良港。それは、自然がもたらした地形という恩恵だ。一つは、背後に六甲山がそびえていることによってできる急激な水の深さ。もう一つは西からの風をよけられること。

 「地図を見てください。和田岬が南方向に出っ張っています。だから岬の東側に停泊した船は安心です」

 和田岬に限らず、陸地がにょきっと海側に出たり湾曲したりしている場所は船が風から守られ、昔の人は重宝したという。ただ、東からの風は大丈夫だったのか? と疑問が湧く。

 「その解決を図ったのが清盛です。12世紀後半、大輪田泊(おおわだのとまり)の東側に、波風を防ぐ人工島を築きました」と神木さん。約5万人を動員し、近くの山を崩した土で海を埋め立て、35万平方メートルほどの島を造ったという。船は陸と島との間に入れば東西両方からの風や波をよけられるようになった。

 この「経(きょう)が島」と呼ばれる人工島は、その後の地形変動や海岸線の移動で、場所を特定できていない。ただ、今も「築島(つきじま)」「島上」といった地名が残るほか、近くには経が島に関する伝説と関係が深い来迎(らいこう)寺(兵庫区島上町2)もあり、この辺りに島が築かれたのだと推察することができる。

 「大型船が着岸できる瀬戸内海初の本格的な港の誕生でした。清盛はこの地を拠点に宋(中国)との貿易に力を入れました。神戸(兵庫区)は800年前から国際港だったんですよ」

 さらに神木さんは「山、海へ行く」で知られる神戸市の開発手法を引き合いに出しユーモラスに語った。

 「ベイエリア開発ということでしたら、清盛の方がずいぶんと早いですね」

【バックナンバー】
(2)港都神戸の原点 著名人の先祖ずらり
(1)神戸市章 二つの弧は二つの港?
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