ヘンリー30周年パーティーで歌う石井順子
ヘンリー30周年パーティーで歌う石井順子

 三宮のバー「ヘンリー」に勤め始めて間もなく、石井順子のところに旧知のジャズ仲間から電話が入った。「ステージで歌わへんか」「譜面も何も持ってないし、ええわ」「いや、順ちゃんはやっぱり歌わなあかんで」

 バンドが鳴ると、歌手を辞めてからの長いブランクは関係なかった。歌詞が自然に出てくる。順子はごく当たり前のように音楽を取り戻した。

 歌手だった経歴は客にも伝わり、店でも歌うようになる。それまでは客がカラオケで歌っていたが、順子の声を聴いた常連の一人が「上手な者が歌ったらええ」と言い、誰もマイクが持てなくなった。順子は毎日歌った。

 1987(昭和62)年には末廣(すえひろ)光夫に誘われ、西宮市の武庫川学院甲子園会館(旧甲子園ホテル)で開かれた「全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバル」に出演する。末廣はラジオ神戸(ラジオ関西)の看板番組「電話リクエスト」を企画した音楽プロデューサーで、順子は同局の歌番組に出ていたころからの顔なじみだ。順子は会場で、名クラリネット奏者の北村英治とも久々に再会した。