パリ五輪に沸いた1年が終わり、2025年の始まりを告げる鐘が鳴った。陸上では9月に東京で世界選手権があり、小野市出身で女子中長距離のエース田中希実(ニューバランス)に期待が集まる。指導を仰ぐ父の健智(かつとし)コーチとは、二人三脚でパリに続く大勝負に挑む。ともに壮大な夢を追う親子が、パリ五輪での葛藤や収穫、新たな一年への思いを語り合った。(有島弘記、山本 晃)
■パリ五輪で苦杯「この経験が生きる」
-2024年8月のパリ五輪を振り返って。
健智 本人(希実)は6月の日本選手権後、1500メートルと5000メートルの二つの決勝でしっかりと戦い、何らかの答えを出したかったが、どちらの種目も思いが届かなかった。そこに尽きます。
-5000メートルが予選敗退。続く1500メートルは準決勝止まりだった。
健智 自分がパリを通過点にしてしまった。春先に1年の流れを決めますが、ダイヤモンドリーグ(DL)ファイナル(9月・ブリュッセル)までを一つのストーリーにしていた。自分がそこを見過ぎたが故にうまく(パリに)持っていけなかった。ずれが出たのかな。
希実 私の中ではパリをシーズンの頂点として捉えていた。結果さえ良かったら、気持ちの勢いでいい成績か(現状)維持ぐらいでDLファイナルまで駆け抜けたいと思っていた。パリにピークを持ってこられなかったのは、「これだ」というフォームをつかめていなかった。東京五輪(1500メートルで日本人初の入賞)でうまくいったのは初めての五輪で、(当時は)全力をぶつけるスタイルを取れば良かった。パリは全力というよりも、きれいな正解を求めていた。だから「機が熟していない。間に合っていない」と分かった状態で出ていた。

























