
神戸市西区の流通科学大学の構内にあるダイエー資料館に入った途端、ピアノの前奏に続いて合唱の録音が流れた。〽ダイエーは 気負える鳥ぞ/嘴に 意志をあらわし/胸のうち 使命をいだく/飛びたって 高きを飛ぶ-。作詞山口誓子、作曲大橋博の社歌1だ。平明な響きににじむ強い自負。メロディーが頭の中で鳴り続ける。

1957(昭和32)年に開業したダイエーの軌跡を再現した企業ミュージアムの趣だ。主婦の店・ダイエー薬局のファサードが不思議な磁力を放つ。懐かしい制服やチラシ、新聞広告が並ぶ。企業スポーツのコーナーではオレンジアタッカーズ、福岡ダイエーホークス、陸上部と往時のプレーヤーたちの活躍がよみがえる。

大学構内には創業者中内功の実家のサカエ薬局(神戸市兵庫区東出町)を移築した記念館もある。戦争、復興、高度成長…。「流通革命」「価格破壊」を掲げて戦後社会を駆け抜けた83年の生涯。激動の昭和が凝縮された空間に圧倒される。

「50年前の敗戦時の神戸の焼け跡が脳裏に浮かぶ。この危機を乗り切れるのは、戦争を体験した自分しかいない」-。中内は阪神・淡路大震災直後の思いを自著でこう振り返っている。「街の明かりを消したらあかん」。中内はげきを飛ばし、長男の潤が当日早朝にできた対策本部を指揮した。手を尽くし、ヘリコプターやフェリー、タンクローリーなどを総動員し、被災地に物資を届けた。がれきの街に空襲で焼け野原になった半世紀前の惨状が重なった。

神戸には随所にダイエーの「夢の跡」がある。高度成長期、神戸市は「山、海へ行く」として名をはせた開発手法で成長路線をひた走った。ダイエーも市の開発地域に相次いで進出。スーパー、レストラン、ホテル、大学…。全国で推し進めた拡大路線、多角化路線はバブル崩壊のダメージをまともに受けた。地価下落で土地の含み益は消え、担保力は落ち、資金調達が難しくなった。消費のトレンドも変わった。結果、2兆円超の有利子負債を抱え、小泉純一郎政権時代、不良債権処理の象徴となった。紆余曲折の末、2004年に自主再建を断念し、国が主導する産業再生機構へ支援を要請した。

中内ダイエーの終焉。それでも「流通革命」にかける情熱は揺るがなかった。晩年、流科大で後進の育成に力を注いだ。中内は自著で書いた。「私が、志、道半ばで倒れようと、わが屍(しかばね)を乗り越え、一歩でも前へ進め」

戦後80年の今年は中内の没後20年でもある。今月4日、ダイエーグループのOB・OG会を結び付け、創業者の中内が掲げた「流通革命」を次世代に伝えようと「シン・流通革命を考える会」の交歓会が開かれた。全国から駆けつけた40~90代の約200人が気勢を上げた。(敬称略)
(特別編集委員・加藤正文)






























