過去の「有馬大茶会」の献茶式の様子(提供)
過去の「有馬大茶会」の献茶式の様子(提供)

 昭和の初めまで、有馬温泉は交通の発達とともに、多くの人を迎える温泉地として発展してきました。

 しかし、1937(昭和12)年に日中戦争が始まり、41(同16)年に太平洋戦争へと進むと、有馬の様子も大きく変わっていきました。観光客の姿はなくなり、旅館もそれまでとは違う役割を担うようになりました。

 有馬の旅館には、疎開してきた病院の病室が設けられたり、都市から疎開してきた人々が下宿人として暮らしたりしました。その中には、神戸市立の婦人病院もあり、有馬へ移転してきた同病院の院長を務めたのが中野理さんです。

 中野さんは、51年にわたる医療生活の中から拾い上げた珍談奇談を、「百一夜ものがたり 婦人科半世紀のメモより」として出版されています。その中には有馬での出来事も記されています。

 戦争の影響は人々の暮らしだけではありませんでした。43(同18)年、寒さの厳しい冬、下宿人が布団を暖めるために裸電球を布団の中に入れたことから火災が発生し、現在の「金の湯」の西側から南側にかけての地域が焼失しました。観光客を迎えていた温泉街は、人の流れを失っただけでなく、町そのものも大きな被害を受けました。

 明治、大正、昭和初期と、多くの人を迎え、文学や文化の舞台にもなってきた有馬は、戦争によって大きな転機を迎えました。

 しかし、戦後の復興の中で少しずつ活気を取り戻し、温泉地としてだけでなく、文化の町としても新しい一歩を踏み出していきました。

 50(同25)年、「有馬大茶会」の始まりは、そんな新しい時代の幕開けを象徴する出来事だったのではないでしょうか。

 今回で「有馬温泉つうしん」は最終回となります。これまで有馬の歴史や文化を振り返りながら、皆さまと一緒に有馬の歩みをたどってまいりました。長い間お読みいただき、本当にありがとうございました。

 この連載を通して、有馬を訪れる際に、目の前の町並みや温泉だけでなく、そこに積み重ねられてきた長い歴史にも、少し思いを寄せていただけましたら幸いです。

 今年も11月2、3日の2日間、第77回の有馬大茶会が開かれます。これからも有馬温泉が、多くの人に愛される温泉地であり続けることを願っています。

 長い間お読みいただき、本当にありがとうございました。(有馬温泉観光協会)