■次は誰が、どんな景色を見るのだろう。
IHI相生工場の敷地内に、縦15メートル、横3メートルほどの大きな水槽がある。ペーロン競漕(きょうそう)の季節が近づくと水を張り、チームに所属する社員が水槽を囲むように座って櫂(かい)を振るう。一度に40人が練習できるそうだ。
「これでこぐんですよ」。チームを率いる明石良一さん(45)が見せてくれたのは鉄製の櫂だ。重さは木製の2倍以上の約2キロある。
ペーロン競漕は100年前の1922(大正11)年、相生工場の前身の播磨造船所で始まった。造船所内の社内行事から、市民も巻き込んだ祭典に発展した。その歴史は造船で栄えたまちの盛衰にも重なる。
長く競漕を引っ張ってきた造船所チームだが、明石さんが優勝を経験したのは1度だけ。96年、初めて出場した年だった。
当時入社2年目の明石さんは、昼休みになると水槽に向かい、鉄の櫂を持って水を切った。「弁当を5分でかき込んで仕事に戻るんです。もう半泣きの生活でした」と苦笑いする。
優勝を祝う酒席で、明石さんたちは優勝カップにビールを注いで飲んだ。つらかった日々が報われた。厳しかった先輩がはしゃいでいるのがうれしかった。
今年は新型コロナウイルス禍に入社した若手社員が舟に乗る。「優勝を目指せるチームじゃないんです。でもね、あのビールの味を味わわせてあげたいなあ」。たくさんの人の努力と絆が詰まった味を、と思う。
取材の最後に、2人の若者に会った。
相生産業高校1年の池田龍祐(りゅうすけ)さん(15)は、市民クラブチームとして初めてペーロン競漕に出場した「陸(くが)ペーロンチーム」に所属している。「32人が舟に乗って、ピタリとこぎ手の櫂がそろうと疾走感がすごい。接戦やと、腕の痛みを超えて『勝ちたい』っていう気持ちになるんです」。小学1年でペーロンを始め、すっかり魅せられた。
もう1人は山岡優太朗さん(17)。陸ペーロンチームを結成した山岡伸一さん(79)の孫だ。中学1年の時、大人に交じって初めてペーロン競漕に出た。レース直前の舟の上、ピンと張り詰めた空気に圧倒された。「でも、大人と同じ責任を負うんやと思うとうれしかった」。ペーロンが新しい感情を教えてくれた。
伸一さんが若い2人に語ってきた後悔がある。21歳の時に出たレースでゴール直前、3回だけこぐのをサボった。仲間は誰も気付かなかったが、60年近くたった今も、ふと思い出すという。
「舟に1番、2番はあっても、こぎ手に順位はあれへん。人生もおんなじ。前だけ向いて、しっかりこがな」。最近、そう思うようになった。
舟の上で、次は誰が、どんな景色を見るのだろう。(地道優樹)
=おわり=
-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播姫路文化

-
西播

-
西播

-
西播選挙

-
西播

-
西播

-
西播連載西播

-
西播

-
西播

-
西播神戸

-
西播

-
西播選挙

-
西播

-
西播

-
西播選挙

-
西播

-
西播中学スポーツ中学総体

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播教育

-
西播

-
西播文化

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
姫路西播

-
西播地方行政

-
西播

-
西播文化

-
姫路東播北播西播明石

-
西播姫路

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播連載西播

-
但馬西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播教育

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
新型コロナ神戸姫路西播

-
西播

-
西播東播

-
西播

-
西播連載西播

-
西播

-
西播姫路

-
西播

-
西播

-
西播教育

-
西播選挙

-
西播

-
西播地方行政

-
西播

-
但馬丹波三田阪神姫路西播

-
姫路西播東播

-
西播

-
姫路西播

-
西播

-
西播

-
姫路西播

-
西播連載西播

-
西播

-
姫路西播但馬

-
西播

-
西播

-
西播

-
姫路西播

-
西播スポーツ

-
西播

-
西播

-
姫路西播

-
西播地方行政

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
西播

-
丹波神戸但馬西播

-
姫路西播

-
西播

-
西播

-
西播














































































































