ルッキズムを巡るアンケートに寄せられた回答のキーワー
ルッキズムを巡るアンケートに寄せられた回答のキーワー

 ルッキズムという言葉が広がっています。外見に基づく差別や偏見のこと。最近では「見た目で人を判断すること」「容姿に言及すること」など多面的な文脈で使われています。ルッキズムに対する考えや容姿を巡る体験談をアンケートで募ると、さまざまな回答が寄せられました。その中からいくつか紹介します。※回答は一部要約、省略しています。ご意見や体験談は、随時こちらで募っています。

□ゴリラと言われ (40代女性)

今41歳ですが、小学4、5年生の頃、同級生男子にゴリラと言われてから、ずっと痩せたいと思い続けています。子どもたちは無邪気がゆえ「本当に残酷なことを平気で友達に言うよな~」と思います。仕方のない部分はあるが、そういう発言はどういう感情を相手に与えてしまうのか、早い段階で体感して理解する必要があると思います。いじめられたわけではなかったけど、容姿については35歳頃とか、かなり歳を重ねてからやっとこさ吹っ切れた感があります。周囲にも認められるようになってきたというのもあると思いますが。幼少期から、いじめる側といじめられる側を実験などで体感して理解するとか、そういうことからやっていかないと、容姿を理由に相手を傷つける言動はなくならないと思います。

□ばかげている (60代男性)

人それぞれいろいろな容姿があるがこその個人である。ルッキズムなんてばかげている!

□写真と比べて (40代女性)

就職面接のときに「実物は写真と比べてふっくらしてらして」みたいな言われ方をした事があります。顔はあまり言われませんが胸の大きさはめちゃくちゃいじられました。

□はみ出しもののよう (40代女性)

胸が大きい女性です。服がどんな服も窮屈です。最近胸が大きい女性向けの服を購入し、ようやく背筋を伸ばして歩けるようになりました。気分の問題ではなく、物理的に背筋が伸ばせるんです。ずっと背中を丸めないと服に体が入ってなかったんです。ブラウスは胸周りが弾け飛びそうだし、Tシャツは胸だけ張って不自然で、かと言ってサイズを上げれば本当の自分よりはるかに太って見える。自分の体に沿った服は「なんて自由に生きていけるのか」と感動しました。ところが世間では、男女平等にしようと男女兼用の服が増えています。胸が大きいことが、まるではみ出しもののようです。好きで胸が大きくなったわけではなく、初めてきちんと測ったときからこの大きさです。その割りには世間の広告では胸を大きくしろだのなんだの、大きいほうが良いと言わんばかり。昔は胸が大きいと頭が悪いというようなことも言われましたし、昔も今も胸を張って歩くだけで男性の視線を浴びます。私は昔から自分のこの胸の大きさが嫌ではなく、自分を肯定して生きてきましたが、いろんな向きから吹いてくる風のせいで世間の矛盾をとても強く感じています。

□整っているもの (50代男性)

本能の中に整っている「もの」に安心を覚えるのかも…。体験的にそれだけではないことに気付き、外観の他にも判断材料を認識し始める。それを「オトナになる」と言う…のかなぁ。外観、外見に頼るのは単に幼稚なだけなのかも。

□胸をそぎ落としたい (50代女性)

自分の容姿には子どもの頃からコンプレックスがあり、写真を撮るのも好きではなく、できるだけ避けられるものは避けるようにしてきた。たで食う虫も好き好きと良く母が笑って言ってたが、人の好みはさまざま。そういうことを話題にせず付き合えるような気が合う人と仲間になれば、周りの言葉は気にしなくてもいいのかも知れないと最近思えるようになってはきたが、コンプレックスがなくなることはないと思います。また、胸が少し大きいことで、初対面でもセクハラ発言をされたり、セクハラする人がいたり。痴漢に遭うと、そぎ落としたいと思うことがあったし、今でも邪魔なものでしかないと感じ、自分の容姿を好きになれることは一生ないだろうと思います。

□自分が情けない (50代男性)

太っているのが嫌いですが本気で痩せようという行動も取れず自分が情けないです。

□自分はブス (40代女性)

環境のせいか、物心ついたときには自分は「ブス」だと思っていて、コンプレックスの塊でした。自信がなく性格も暗かった。男の子からも容姿をからかわれて、人との関わりが嫌いだった。高校を卒業して、メークしたり、髪を染めたり、ダイエットして、別人のように変わった。驚くほど優しい人が増えた。見た目が変わったからというよりは、少し自信がついて、ニコニコ愛想良くできるようになったからだと、おばさんになった今は思います。見た目を磨くのも大切だけど、それだけにとらわれず、愛される努力が必要なんだと。自分の子には、愛される自信を持ってもらいたいと思っています。自分がコンプレックスの塊だったせいで、今でも「見た目」を重視する方だとは思います。

□ありきたりな言葉だけど (40代女性)

ルッキズムという言葉を初めて知りました。私は見た目で悩んでいます。というのも昨年、バセドウ眼症を発症してしまい眼球が突出してしまったからです。昔の写真と比べると顔が違います。ただでさえ太ってしまい悩んでいた時にさらなる追い打ちだったので、受け入れるには時間がかかりました。今はせめて体重を戻して、コンプレックスが目だけになるようにしたいなと思っています。食事と運動にすごく気を付けるようになり、その点に関しては良かったと思っています。いくつになってもスタイルのいい人には憧れますが、人間としての悩みは皆一緒だと思うので、今日も悩みに負けないで、ありきたりな言葉ですが私らしく、価値のある1日にしたいと思っています。

□水泳が恥ずかしい (20代男性)

幼少期より右太もも裏の皮膚の色が黒く、毛がぼうぼうと生えているため、水泳時などに恥ずかしいと思っている。同じく幼少期より視力が著しく悪いためメガネを着用しているが、メガネザルなどのあだ名をつけられた経験がある。

□後ろめたい気持ち (60代男性)

特別な美男子ではないが清潔感はあるかもしれない。だからルッキズムで得をしたことは数多くあると思う。後ろめたい気持ちを持ちながら、それを利用したことも否定できない。頭では不条理と考えても自然に起こる感覚はどうしようもない。意識すればするほど泥沼にハマる。意識し過ぎると美男美女への逆差別になりそうで少し怖い。

□教育が大切 (50代女性)

子どもの頃から見た目よりも、それぞれの魅力を伸ばす、引き出す教育が必要だと思います。子育てはそこを大切にしてきました。

□姉は色白なのに (80代女性)

小さい時から色が黒いと言われてきた(姉は色白なのに)。叔母の夫から、他人がかわいいねと言ってくれた時、「イヤー色が黒いからね」などと言われた。70年たっても忘れられない。そして人より早く顔にシミができて、今まで何度も美容外科のレーザーで薄くしてもらってきた。この年になってもできるだけ汚い年寄りにならないように気を使っている。しかし老人になったら他人も気にしてくれないし、子どもたちは、若い、きれいと言ってくれて喜ばせてくれる。年を取るのもいいものだと思う。

□全力疾走していたら (40代女性)

20代の頃、電車に乗り遅れそうになり、全力疾走していました。その時「ブッサイクやなぁ~」と見ず知らずのおじさんに言われて、それまで自分の容姿に不満を抱いたことなどなかったのに、自分の容姿に自信がなくなり人前で緊張するようになりました。

すがたかたち ルッキズムを考える