「話すとき、いつも無意識に口元に手を添えていた」
「話すとき、いつも無意識に口元に手を添えていた」

 ルッキズムという言葉が広がっています。外見に基づく差別や偏見のこと。最近では「見た目で人を判断すること」「容姿に言及すること」など多面的な文脈で使われています。ルッキズムに対する考えや容姿を巡る体験談をアンケートで募ると、さまざまな回答が寄せられました。その中からいくつか紹介します。※回答は一部要約、省略しています。ご意見や体験談は、随時こちらで募っています。

□どう付き合えばいいのか (20代女性)

友人と撮った写真を見せた時、母に「小顔に写ってよかったね」と言われ、その場では笑顔で流したものの、今でも引っかかっています。容姿には自信がないので、見た目に関わることを言われると違和感を感じてしまいますし、見た目をからかったり、見た目だけで判断したりする人が減ればいいと思っています。しかし、実際、自分自身も見た目で「近寄りにくい」と敬遠したりしてしまうし、「人は見た目が100パーセント」といったドラマも放送されるほど、私たちは「見た目」の影響を大きく受けているとも感じています。なので、外見至上主義を払拭するのはかなり難しく、自分でもどう付き合えばよいのか悩んでいます。

□まっすぐ見てるのに (50代男性)

数年前から斜視になって、まっすぐ見てるのにこっち向けとか言われるように。伏し目がちに歩くようにもなった。治療はしているがなかなか治らず。迷惑をかけたわけではないんだから、放っておいてほしい。

□娘に申し訳ない (50代その他)

私は正直、容姿に自信はない。目が細いから。娘が2人いるけど、私に似ていると言われると娘に申し訳ない。自分だけならまだしも、わが子に容姿は遺伝する要素もあるのでなんともいえない気持ちです。ルッキズムについては正直あまりよくわかりません。実は、高校生の娘が学校のレポートで、容姿についてのテーマを選びました。今回の記事はとても興味深く私自身も楽しみにしています。むしろこちらこそ内容について教えてほしいくらいです。

□眼鏡の私 (20代女性)

小学生の頃に目が悪くなり、25歳の今までずっとメガネをかけてきました。私はメガネをかけた自分の顔が気に入っていますが、「コンタクトの方がかわいいよ」といろいろな人に言われ続けてきました。就活がうまくいかなかったときも、母親から「面接ではコンタクトの方が印象がいいんじゃない」と言われました。コンタクトの方がいいと言われるたびに、メガネをかけた見た目がよくないと言われているような気持ちになります。自分でメガネ姿を気にいっているので変えるつもりはありませんが、やはり指摘されると悲しい気持ちになります。特に就職など自分の活躍をメガネと結び付けられるのは悔しいです。

□その身体で幸せか? (40代女性)

私は手足が短い低身長症当事者です。アンバランスな見た目のためかジロジロ見られ、「その身体で幸せか?」とすれ違う人に言われたこともあります。失礼なことを何度も複数の人に言われるのでセルフケアが追いつきません。恋愛も就職のハードルも高い中で、もう十分必死に生きているので、外出するだけで傷つけるのはやめてほしいと思っています。

□顔面神経まひになって (50代女性)

10代で顔面神経まひになりました。治療中に心ない言葉を吐く人がいました。私に向かって言うでもなく、その場の皆が聞こえるような独り言だったのでしょうか。確かにそれは個人の感想なのですが、その場の空気が凍ったようでした。職場だったので皆さんは、私にもその相手にも声をかけるのをためらっているようでした。

□他者の評価 (50代女性)

私は片目が遠視性の弱視で、小学校に入学した時から(当時の表現でいえば)牛乳瓶の底のような厚いレンズの眼鏡をかけていました。40年以上前のことですが、今振り返ると、私自身の容姿がどうのではなく、その眼鏡が奇異にうつるか、チャーミングにうつるかで、私の容姿の「評価」は決まっていたように思います。自分を見る相手が自分の容姿の「恥ずかしい」部分を「かわいがって」、あるいは「愛着をもって」見てくれている。そういう他者からの肯定、受容は、心の成長過程に大切なものだと思います。私はそれをときに得て、ときに傷つけられ、幸福と失望との間の振れ幅がとても大きな大人になってしまいました。長い年月、多くのできごとを経て、ようやくそういう自分像をしっかりと自分の物とすることができました。

□メディアの責任 (40代女性)

アパレル業界はこぞってお洋服の売り文句に「細見え」をうたい、美容業界は脱毛を促し、顔の毛穴は「カバー」しなければならず、シミはレーザーで消さなければいけない。「美しくなければいけない」「痩せていなければいけない」「若く見えなければいけない」ように価値観を操作されているのです。すべては「商品を売るため」に。それが消費者の劣等感をあおっている。ファッション誌などでも外見に対する絶対的な価値基準を元に記事が書かれている。その価値観が定着している今、社会生活を送るにあたり、そこから脱することはほぼ不可能で、やみくもに「個性」を体現するのは非常識とも取られかねないと思う。外見を気にしたくないと思っても、容姿を気にしないでいられるほど、社会は寛容にはできていない。個人の感情の問題ではなく、社会構造がルッキズムに対する悪影響を与えている。承認欲求を過剰に持ってしまう若い人たちは、情報に翻弄されて自身で美に対する概念を考え出すことができず、その責任はやはりメディアにもあると思う。

□がんじがらめ (50代女性)

見た目は好きではないです。成長期までは顔も小さくて背も高かったですが、成長期に背が止まり、顔が大きくなってバランスが悪くなりました。そのことはコンプレックスです。モテるために努力はしました。20代後半に恋が実らないことや災害、仕事がうまくいかないことが重なり、その時期から太り始めて、ますます見た目が悪くなりました。男性からモテないこともコンプレックスでした。合コンなどで美人はちやほやされますが、自分は空気のような扱いを受けることもありました。人の話を聞くことや話をすることがうまかったからまだよかったですが、辛い思いもしてきました。夫と知り合って結婚できてからは、容姿へのコンプレックスは消えました。異性を手に入れる競争から卒業できたことで、心が本当に軽くなりました。私は親から愛情を持って育てられました。あとは勉強ができたので、全てにおいてできないわけではなく、自分に自信をある程度持っていました。もし容姿以外のことで自分に自信がなかったら、どうやって生きてこられたのか?と不安に思います。ただ、男性にモテるために勉強ができることは隠すようにしていました。もしそんな考えがなければ、もっと楽しい学生生活を送れたと思います。こんなことを書いていますが、身長が低いので女でよかったなと思っている自分もいます。ルッキズムにがんじがらめなのだと思います。

□見えてしまうのだから (50代男性)

パッと見の第一印象なんかは、大事かなとは思う。見えてしまうのだから、しょうがない。保険営業や販売職で外見の良い人が売り上げがいいのも事実だと思う。

□美形の方が (70代女性)

やはり男女共美形のほうがいいと思う。自分に自信を持って生きていけると思う。

□整形も隠さない (30代女性)

整形しているので自分の見た目は大好きです。お金で好きなものを買ったという感覚と同じです。整形していることも隠していません。近ごろは個性という名のもと、どんな見た目でも美しい、きれいという傾向にありますが、やはり一定ラインの醜と美の線引きはあります。プラスサイズモデルなどもありますが私は美しいとは思いません。

□特別美人でもなく (50代女性)

私はごく普通で、特別美人でもなく、そして特別ブスでもないかな。日本人はとにかく人の目を気にし過ぎているのが、よくわかります。服装にしてもみんな同じで、人から個性を尊重されるのをとても怖がっている人種だなって感じてます。人生一度きり!好きな服を着て、自分らしく生きなきゃ時間の無駄!人のすてきなところは、まねしたければチャレンジすればいいし、自分のすてきなところをもっと楽しまなきゃほんともったいないと思います。

すがたかたち ルッキズムを考える