2000年1月に出された尼崎公害訴訟判決のコピー。神戸新聞社にも保管されていた(撮影・大田将之)
2000年1月に出された尼崎公害訴訟判決のコピー。神戸新聞社にも保管されていた(撮影・大田将之)

 裁判記録の廃棄問題を受け、今年1月に記録保存制度が改変される以前に、兵庫県内で争われた民事訴訟で事件記録が特別保存(永久保存)に選定されていたのは、尼崎公害訴訟や明石歩道橋事故訴訟など計5件だったことが、神戸地裁への取材で分かった。上級審までの全記録が保存されていた。阪神・淡路大震災に関する訴訟は判決文を除き廃棄されていたが、歴史的意義のある一部訴訟の記録は残された形だ。当該事件の関係者は「保存は当然」としながらも、認定された事実や、被害に苦しむ当事者の声が残ったことに安堵している。

新制度半年、6件を追加認定

 地裁によると、最高裁が記録保存制度を改変した今年1月30日時点で永久保存になっていた民事訴訟と一審判決があった年は、①国道43号道路公害訴訟(1986年)②尼崎公害訴訟(2000年)③明石歩道橋事故の損害賠償請求訴訟(05年)④クボタ石綿禍訴訟(12年)⑤暴力団排除条項訴訟(13年)。上級審の事件記録や判決原本、和解調書も保存されており、保存場所は、①~④が神戸地裁本庁で、⑤が尼崎支部だった。

 これまでの最高裁の内規「事件記録等保存規程」などは、民事訴訟の事件記録は原則5年、判決原本は50年の保存後、廃棄すると定め、史料的価値が高い事件記録については特別保存(永久保存)を求めていた。永久保存とされた5事件の決定理由は、①~④が「全国的に社会の耳目を集めた」で、⑤は「重要な憲法判断が示された」だった。

 永久保存記録は、通常の民事訴訟記録と同様、原則閲覧できる。地裁の許可を得て、尼崎公害訴訟と明石歩道橋事故の記録を閲覧したところ、公害訴訟の記録は全193冊で厚みは計12メートル以上、歩道橋事故の記録は全51冊で計3メートル以上あった。記録には、判決文をはじめ、意見陳述書や調査データなどの証拠、捜査過程で取られた供述調書の写しなどがひもでとじ込んであり、法廷で原告・被告双方の主張が整理され、判決などが導き出された経過を検証できる内容だった。

 尼崎公害訴訟で原告団長を務めた松光子さん(92)は、記録の永久保存を「当然」とした上で、「記録を読んで、工業によって繁栄した尼崎の煙の下で、どれだけの人が苦しんで亡くなっていったかを知ってほしい」と話した。

 一方、明石歩道橋事故の民事訴訟で代理人を務めた兵庫県弁護士会の佐藤健宗弁護士(66)は「残っていて当然と思うが、廃棄の報道を考えると奇跡的とも感じる。判決文は最後にまとめたサマリー(要約)のようなもので、それだけが残っていても将来の研究者がひもとくには物足りない。生の記録や供述調書が全てそろってこそだ」と強調した。

 事件記録の廃棄問題を巡っては、22年に神戸連続児童殺傷事件など重大少年事件の記録が各地で廃棄されていたことが判明。最高裁は全国の裁判所に民事、家事事件も含めた全記録の廃棄を一時停止するよう指示し、有識者委員会で記録保存の在り方を議論した。廃棄停止は今も継続している。

 また今年1月30日には、史料的価値の高い事件記録を「国民共有の財産」と明記した新規則を施行した。神戸地裁によると、制度改変後の半年間で、地裁は6事件を新たに永久保存としており、新規則運用の効果がうかがえた。(霍見真一郎)

【裁判所の事件記録廃棄問題】神戸連続児童殺傷事件など、重大な少年事件の記録が各地の家裁で廃棄されるなど、裁判記録の特別保存(永久保存)制度が機能していなかったと判明した問題。最高裁は、永久保存とする対象事件を内規などに記していたが、守られていなかった。問題を受け、最高裁は全国の裁判所に対し、全ての事件記録の廃棄を一時停止するよう指示。さらに、史料的価値の高い事件記録を「国民共有の財産」として保存するとの理念を定めた新規則を作り、今年1月30日から運用を始めた。