遺族代表として言葉を述べる長谷川元気さん=17日午前5時50分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・辰巳直之)
遺族代表として言葉を述べる長谷川元気さん=17日午前5時50分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・辰巳直之)

■寄り添い、話を聞き災害を「自分事」に

 30年前のきょう、私は小学2年生でした。古い木造2階建てアパートの1階に私と両親、年子の弟陽平、1歳半の弟翔人の家族5人で住んでいました。震災で2階部分が落ち、1階はつぶれました。父と陽平と私は隙間にいて奇跡的に助かりましたが、母と翔人は洋服だんすの下敷きになり、亡くなりました。

 保育園の先生だった母は子どもと遊ぶのが上手で、温かく活気に満ちた人でした。弟の翔人とは電車ごっこやサッカーをしました。そんな2人が亡くなり、私は後悔しました。「どうしてもっと母をいたわれなかったのだろう。翔人ともっと遊んであげられなかったのだろう」

 大切な人が一瞬でいなくなることもある。「支えてくれる周りの人に目を向け、感謝の気持ちを伝えよう」。そう胸に刻み、30年間生きてきました。

 父は震災後に建てた自宅で学習塾を経営する傍ら、私と弟を育ててくれました。本当に感謝しています。弟の陽平とは好きな漫画を語り合ったり、カードゲームをして遊んだりできる、唯一無二の親友のような存在。陽平のおかげで毎日を楽しく過ごせました。ありがとう。

 私はそうした教訓を伝えたいと「語り部KOBE1995」に加入し、現在は代表を務めています。30年がたち、神戸に住む半数以上が震災を知らない世代になりました。記憶が風化し、大地震が起きたときに教訓が生かされない恐れがあります。

 母や弟も、家具を固定していれば助かったかも知れません。被災者に寄り添い、話を聞くことで災害を「自分事として捉える」。そして「いま自分にできることは何か」を考える。つまりは「防災・減災のスタートラインに立つ」ことが大切です。

 より多くの方にスタートラインに立ってもらえるよう、これからも教訓を語り継ぎます。