被災後の宮城県南三陸町の歩みを語る佐藤仁さん=洲本市本町4(撮影・上田勇紀)
被災後の宮城県南三陸町の歩みを語る佐藤仁さん=洲本市本町4(撮影・上田勇紀)

 2万人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災から15年が経過した。兵庫県がカウンターパートとして支援に入った宮城県の南三陸町でも当時の町長、佐藤仁さん(74)が防災対策庁舎で津波に襲われながら生還し、復旧・復興に取り組んだ。「15年間知力、体力の全てを尽くした」と、佐藤さんは昨秋に退任。東北沖を震源とする地震は今も断続的に発生する。復興の道筋と今後に生きる教訓を佐藤さんに聞いた。(小西博美)

 -15年を振り返って、復興は思うように進んだか。

 「計画の一つは二度と津波で命を失わないこと。三陸海岸は津波の歴史だ。また津波で命を失うとなると東日本の教訓は何だったのかとなる。その点では『なりわいの場所はさまざまでも住まいは高台に』を目標に、住居を全て30メートル以上の高台に移した。警報が出てもみな高台にいるから枕を高くして眠れる。安全安心のまちに生まれ変わった」

 -残った課題は。

 「避難所、仮設住宅へと移行する中で、何度も壊されたコミュニティーの再生には今後も取り組む必要がある。産業では持続可能なまちをつくろうと、農業、漁業で国際認証を取得し、ブランド化を図っている」

 「観光は主要産業の一つだ。『南三陸さんさん商店街』などの入れ込み客数は年間60万人と健闘しているが、町の人口減少は悩ましい。交流、関係人口を増やし定住化を進めているが、減少をカバーできるほどではない。ただ、新型コロナウイルスの影響で一時落ちた観光客数も盛り返しつつある。かつてのボランティアを含め復興に関心を持って来ていただいているようだ」