加古川市にできたかもしれない? インド村構想を受け、加古川市の視察団が見たタージマハル霊廟(提供写真)
加古川市にできたかもしれない? インド村構想を受け、加古川市の視察団が見たタージマハル霊廟(提供写真)

 昨秋の衆院選。投開票を目前に控えた加古川市民会館は大勢の聴衆で埋め尽くされていた。地元の自民党ベテラン候補の応援で登壇したのは党選対委員長の小渕優子氏。「父、小渕恵三が総理になった1998年は日本経済は最悪な状況だった。大手証券、銀行がバタバタと倒れた。日本から金融危機が起こるのでは、とさえ言われた」と、およそ30年前を振り返った。

 かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされ、世界を席巻した日本経済。80年代のバブル期を経て、90年代に混迷へと陥った。

 バブル期前後の東播地域でも、夢のような構想が次々とあがった。その後、日本の経済状況をたどるようにしぼんでいった。

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 その一つが加古川・権現湖周辺の「インド村」構想。ダム湖ほとりにタージマハル霊廟(れいびょう)やマハラジャ宮殿の庭園を再現、豪快に水浴びするインドゾウ…。インド4千年の歴史を感じられるレジャー施設を誘致する動きがあった。

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 新幹線の駅を加古川市に-。三角屋根が特徴で日本の駅舎100選とされたJR旧加古川駅舎。高架化で姿を変えた今も東播エリアの「玄関口」だ。「まちの活性化、市民の利便性をもっと高めたい」。約40年前、新幹線の新駅を造ろうと、市の行政関係者を中心に奔走した。姫路駅、西明石駅に挟まれながらも新駅の必要性を訴えた。