新聞週間が始まった。新聞に何が求められているのか。その存在意義と課題を問い直す時間でもある。
交流サイト(SNS)が生活の一部となり、誰もが情報を発信でき、直接つながることができる。人工知能(AI)の進化で、大量の情報が手軽に手に入るようになった。
半面、SNSでは関心が特定のテーマに集中し、過熱しやすい。国や自治体のトップが一方的な情報発信に利用する危うさもある。AIを悪用して精巧さを増した偽情報が社会不安をあおる事態は放置できない。
これに対し新聞は、記者たちが現場で取材を重ね、複数の目で検討し、確認できた事実を記事で伝える。社説やコラムを通して多角的な視点も提示する。頼れる存在として新聞を手にとってくれる人がいる限り、私たちは粘り強く事実を追い求め、誠実に届ける努力を惜しまない。
優れた報道を日本新聞協会加盟社が選ぶ2026年度の「新聞協会賞」は地方紙の奮闘が目立った。
西日本新聞の「歪(ゆが)んだ関係-福岡県政を追う」は、福岡県議会の正副議長ポストを巡る現金授受疑惑などを丹念な調査報道で暴いた。権力を監視するジャーナリズムの真骨頂と言える。地方政界の闇に迫る作業は困難を極めたと想像する。地元紙として長年の問題を見過ごしてしまったとの自戒もあろう。引き続き取り組む検証に注目したい。
京都新聞の「隠れた刃(やいば) 黒塗り記録」は7年がかりで勝ち取った情報公開文書で、旧優生保護法下の強制不妊手術の実相を明らかにした。過酷な人権侵害を黙認してきた社会への憤りは当然新聞にも向かう。同じ問題を抱える地方紙が教訓を共有し連携すれば、差別を許さない社会を築く道につながるだろう。
神戸新聞の連載「あの熱狂の中で」などSNS選挙を検証する一連の報道も企画部門で受賞した。告発文書問題に端を発した24年の兵庫県知事選はSNSで真偽不明の情報が出回り、それを報じない神戸新聞の選挙報道も批判を浴びた。取材班は批判する人々を取材し、自分たちも傷つきながら、その奥にある一人一人の苦悩を浮かび上がらせた。溝が埋まったわけではない。それでも当事者とともに悩みながら答えを探す手法は、阪神・淡路大震災に見舞われ、正解が分からない中で被災者とともに歩んだ震災報道に原点を見る。
通底するのは、地域でともに生きる当事者として葛藤する記者たちの姿である。新聞不信と向き合うには「新聞は正しい」という前提を問い直し、異なる価値観の人たちとも謙虚に深い対話を積み重ねるしかないのではないか。自らへの真摯(しんし)な問いが新聞の未来を開くと信じたい。
























