宝塚歌劇への思いを語る榛名由梨さん=神戸市中央区東川崎町1(撮影・笠原次郎)
宝塚歌劇への思いを語る榛名由梨さん=神戸市中央区東川崎町1(撮影・笠原次郎)

 元宝塚歌劇団の榛名由梨でございます。宝塚最大のヒット作「ベルばら」こと「ベルサイユのばら」で初代オスカルを演じ、その後の運命が大きく変わりました。今年は宝塚歌劇団創立110周年、「ベルサイユのばら」初演以来50周年という記念の年です。早いですねえ。50年。いろいろありましたが、長いようであっという間でした。

 私にとって宝塚入団は生まれる前から運命づけられていたのですが、「ベルサイユのばら」もそれ以上に運命的な出合いとなりました。

 フランス革命で露と消えた悲劇の王妃マリー・アントワネットの生涯を描いた池田理代子先生の原作は、当時、大人気でしたが、少女漫画がいまほど市民権を得ていなくて、宝塚で舞台化するということが発表された時は大変な騒ぎになりました。

 宝塚では漫画といわずに劇画と呼んでいたのですが宝塚ファンは「漫画の舞台化なんて」といい、原作のファンは「生身の人間が漫画の主人公なんかできない」というなど喧々囂々(けんけんごうごう)、賛否両論吹き荒れました。

 私が所属していた月組で上演されることが決まり、原作で一番人気のある架空の人物、マリー・アントワネットを警護する近衛隊の隊長「男装の麗人」オスカル役に起用されました。原作のファンの方からは「イメージがこわれる」などといわれてかみそり入りの手紙をもらうなど怖い思いもしましたが、演出の長谷川一夫先生や植田紳爾(しんじ)先生はじめスタッフの方たちとともに、いかに原作のイメージを壊さずに生身の人間がオスカルを表現できるかいろいろ試行錯誤を重ねながら初日を迎えました。

 一番苦労したのは金髪のカツラですね。今のような技術のないころでしたので、それはもう大変でした。そのあたりの詳しいお話はおいおいご紹介しますが、オスカルを演じたことで私の宝塚人生は一変しました。その時は、とにかく一生懸命で、目の前のことをやり遂げることで精いっぱいだったのですが、おかげさまで大変な好評をいただき、花組続演ではアンドレを演じさせていただきました。

 その後の全国ツアー公演は熱烈なファンが殺到、「ベルばらブーム」という社会現象にまでなりました。私が退団後も何度も再演され、いまや宝塚を代表する演目です。50周年を祝い、歴代出演者らによる記念公演を5月に大阪で開催。6月9日まで東京、14~16日には名古屋で行います。7月には雪組での再演が決まっています。再演のたびに演技指導として呼んでいただき、今回も長谷川先生の奥義を後輩たちに伝授している真っ最中です。この50年、ずっと私と宝塚の縁を結んでくれる大切な作品となっています。

 昨秋、宝塚歌劇団団員が亡くなるという悲しい出来事があり、皆さまにはご心配をおかけしました。古巣が今回の問題を真摯(しんし)に受け止め、新たに前向きに進むものと信じて、私の生い立ちから現在までの宝塚愛を語っていきたいと思います。

 (はるな・ゆり=元宝塚歌劇トップスター)

【はるな・ゆり】1945年、現在の三田市生まれ。63年宝塚歌劇団に49期生として入団、初舞台。翌年月組に配属。73年、トップスターに就き、74年「ベルサイユのばら」初演で男装の麗人オスカルを演じた。「風と共に去りぬ」のレット・バトラー、「新源氏物語」の光源氏など、男役の頂点を極め専科へ。88年に退団後、現在まで俳優・歌手として活躍する。