「あの人、梁(リャン)先生のお母さんです」。施設を運営する医療法人社団の理事、川勝通子さん(51)が教えてくれた。
私たちは、重度の認知症の人も積極的に受け入れるサービス付き高齢者向け住宅「ルミエールしかまつ」を訪れている。理事長で医師の梁(リャン)勝則(スンチ)さん(63)の母、金山春子さん(84)は、窓際のテーブルで昼ご飯を食べていた。そばに行って話し掛けると、「お世話になってるね」と笑顔で短い言葉を返してくれた。
◇ ◇
私たちは再び、梁さんが院長を務める林山クリニックを訪ねた。
「母はね、韓国で生まれて、5歳で日本に来たんです」。梁さんが春子さんの人生を語り始める。6人きょうだいの次女。母国での生活が困窮したため一家で山口県の農村に移り、炭焼きなどをして生計を立てた。
「学校は小学校の2年生までしか行ってなかったそうですよ。だから『字も満足に書けない』って言ってました」。19歳でお見合い結婚し、3人の子どもをもうけたが、夫は家族を置いて出て行った。
当時暮らしていた島根県で、餅屋の仲卸を始めたのは38歳のときだ。工場から車に餅を積んで市場へ向かい、別の商品を仕入れて帰る。ほぼ毎日、往復80キロの道のりを車で走り、家族の生活を支えた。66歳まで仕事を続けた。
認知症の症状が出始めたのは2011年ごろのことだ。「今、顔を合わせても、僕のことを息子と分かるのは4割ぐらいですよ」。梁さんが苦笑いする。
母親が認知症になったとき、どう思ったのだろう。「まあ、来るべきものが来たなっていう感じですよ。ただね、暴言や暴力とかがひどくなると、精神科に入院する場合があるでしょ。母や自分のことを考えたときに、入院は嫌だなあって思って。好きな物も食べられないしね」
だから重度の認知症の人を受け入れる施設をつくったという。
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私たちは後日、もう一度、春子さんを訪ねた。話し掛けると何となく会話が成立する。「楽しかったことは何ですか?」
「子どもを連れて、海で泳がしたことがあったね」。島根の海だろうか。
そして、少し誇らしげな顔で言葉を続ける。「一生懸命ね、子ども育ててね、学校出しましたよ」
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