10月から11月にかけて掲載したシリーズ「いのちをめぐる物語」の第3部「つながりましょう」(全20回)では、認知症や終末期の人を地域ぐるみで支える現場を訪ねてきました。読者から届いたメールや手紙の一部を紹介します。
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◆人を頼ること、話をすること、自分を解放することが大切
老老介護はとても厳しく、しんどく、心身ともに何もかも奪い取ります。私の夫は70代半ばで「少し認知症かな」と思う症状があり、かかりつけ医に検査をお願いしました。医師には「まだ分からない」と言われました。
夫は退職してから毎朝、ボートに乗って須磨沖で魚を釣っていました。体調を崩し、病院でアルコールを控えるように言われましたが、日ごとにお酒の量や回数が増えました。私たちはお酒を隠したり捨てたりしました。しかし、夫は中毒症状になり自分で買いに行こうとしました。
夫は私をベッドに寝かさず、部屋を変えて毛布にくるまっていても、たたき起こされました。私は生きる希望がなくなり、ためていた睡眠薬を飲んで寝ました。でも、死ぬことはできませんでした。
娘が1週間休暇を取り、私を姉の家に行かせてくれたことで元気を取り戻し、それからは夫の看病ができました。
介護は決して1人ではできません。心をさらけ出し、つらさを訴えたらどこかで手を差し伸べてくれます。認知症は病気であって恥ずかしいことではありません。人を頼ること、話をすること、たまには全てから自分を解放してあげることが大切と思います。
老老介護は想像以上に厳しく、しんどくてつらいということ。そして誰にも起こり得るということ。世の中の方々が気付いてくださることを願ってやみません。(神戸市・80代女性)
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◆先日、やっとおもいっきり泣くことができました
夫を7月にみとりました。
今年1月に末期の肝臓がんが見つかりました。以前から何度も自分たちの最期について話し合っていたので、通院治療をし、動けなくなれば緩和ケア病棟へ入院することを迷わず決めました。
夫はすぐに退社しましたので金銭的なゆとりは無く、私のアルバイト収入と2人の年金で療養生活を始めました。
夫は早速、生前整理を始めました。2月に入ると、娘一家と旅行をしました。学生時代の友人を招いたお別れ会をして形見分けの先渡しをしたり、夫の兄や姉に見舞ってもらったりもしました。少しでも動けるうちにお別れをしたかったようです。
3月、4月は痛み止めのおかげで穏やかに、自分たちのペースで過ごせました。調子のいい日は夫の運転で温泉に行ったり、買い物に行ったり。意外と長生きできるのでは…なんて気もしていました。4月下旬には息子一家と一緒に、家族全員で2泊3日の旅行をしました。しかし、それからは腹水がたまり食欲が落ち口数も減りました。
私は休職することも考えましたが、アルバイトのため休めば収入が無くなります。緩和ケア病棟への入院費用を考えると、働かざるを得ない状況に思い悩みました。
亡くなった日は、いつになく機嫌がよく一緒にテレビを見ながらにこやかに会話をしていましたが、容体が急変。すぐにかかりつけの病院に搬送したものの、4時間後に亡くなりました。葬儀や、その後のこまごましたこともすべて決めていたので、何もかもがあまりにもスムーズに終わりました。私に負担がかからないよう夫が考えてくれていたそうです。
1人になり、最期の2カ月間を思い出すと「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」と、後悔がむくむくとわき上がってきます。なぜ仕事を休職しなかったのか。私に負担をかけたくないために気持ちを言い出せなかったのでは-。考えても仕方ないことばかり、頭の中をぐるぐる駆け回っていました。
夫の病気が分かってから元気いっぱいな妻や母を演じすぎたのか、夫が亡くなっても涙も出ず、明るく気丈に振る舞い続けていました。先日、ささいなきっかけで、やっとおもいっきり泣くことができました。この先も、体が動く限り自宅で過ごしたいと思っています。どうすれば自分らしく最期を迎えられるか、いろいろと考える毎日です。(明石市、60代女性)
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