清原果耶さん
清原果耶さん

2021年放送のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」で主演を務めて以来、多くのドラマや映画に出演し、数々の賞を受賞している清原果耶。この「清原」という名字は、歴史の古い由緒ある名字だ。

清原氏が誕生したのは、平安時代の初め。天武天皇の皇子舎人親王の子孫である夏野が、延暦23年(804年)「清原」という姓を賜ったのが祖である。その後、多くの一族が同じく「清原」姓を賜って有力氏族となった。

朝廷内では中級貴族であったが、夏野が学者、一族の深養父(ふかやぶ)と孫の元輔が歌人として活躍するなど、和歌や学問に秀でた一族として知られていた。

この元輔の娘が清少納言である。平安時代、朝廷に仕えた貴族達は、自らの姓を中国風に漢字一字に縮めて音読みすることがあった。藤原氏は「藤(とう)家」といい、菅原氏は「菅(かん)家」という。そして、清原氏は「清(せい)家」といったことから、元輔の娘は朝廷に上がるに際して「清少納言(せい・しょうなごん)」といわれたのだ。

さて、清原氏はこの後、公家と武家の両方で栄えた。

嫡流はその後もしばらくは中級貴族にとどまっていたが、慶長6年(1601年)に清原秀賢が公卿となれる堂上に列し、以後は舟橋家を称した。代々明経博士となり、学者として活躍した。

一方、この間に一族は地方官僚などを務めた後に、各地に土着した。

なかでも有名なのが豊後国(大分県)の清原氏である。

平安時代中期の円融天皇時代に、横笛の妙手として知られた清原正高が豊後国玖珠郡(現在の大分県)に流され、同地の地頭であった矢野久兼の娘婿となって居館を構えて住んだという。そして、そこで生まれた子がそのまま土着して豊後清原氏の祖となったと伝える。中世には玖珠郡内に帆足氏・長野氏・小田氏など多くの一族を出して繁栄した。

今でも大分県は全国でもっとも「清原」の多い県である。

また、中世に下野国で活躍した芳賀氏は、「清(せい)党」という武士団を組織していた。これは芳賀氏の先祖が清原氏の出であったことに因んでいる。

現在は西日本一帯に広く分布している。

◆森岡 浩 姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。学生時代から独学で名字を研究、文献だけにとらわれず、地名学、民俗学などを幅広く取り入れながら研究を続ける。2017年から5年間NHK「日本人のおなまえっ!」のコメンテーターを務めた。著書は「47都道府県名字百科」「全国名字大事典」「日本名門名家大事典」など多数。