「妊娠した猫を人間のエゴで生ませると、良いことはほとんどありません」
そう力強く言うのは、譲渡型保護猫カフェ「チェリッシュ」の店長・橋本彩菜さんです。医療費は子猫の分だけ増えます。何より不幸な猫をこれ以上増やさないようにするのが、保護猫活動の基本だからです。
それでも、チェリッシュでは猫のお産を手伝いました。その理由は、ある1匹の猫との出会いです。
■お腹がパンパンに膨らんだ人懐っこい猫
橋本さんがその猫と出会ったのは、2024年5月ごろ。枚方市にある団地に住む人からの連絡がきっかけです。団地に1匹の猫が棲みつき、色んな家を行き来しているとのこと。みんなに可愛がられているものの、車通りが多いので事故が起きるのが心配だと。
慌てて様子を見に行くと、そこにいたのはシャムミックスで、お腹がパンパンに膨らんだ猫。通常、妊娠中の野良猫なら警戒心が強くなるものですが、この猫は抱っこもさせてくれるほど人懐っこいのです。
「危ないな…」
橋本さんは思わずつぶやきました。人懐っこい野良猫は虐待の対象になることもあります。しかも、間もなく子猫まで生まれるとなれば、その子たちも危険にさらされるかもしれません。それでも猫は、安心して体を橋本さんに預けてきます。
猫の体の重みを感じながら橋本さんは決めます。「今、緊急保護する」と。
団地の人たちに挨拶をし、その足で近くの動物病院へ連れていきます。1晩預かってもらい、その間にチェリッシュの隔離部屋で1匹収容できる準備を整えます。
■堕胎か出産か…迫られる決断
次の日、動物病院へあの猫を迎えにいきます。その時、獣医師から告げられました。「あと1週間ほどで生まれますよ」と。堕胎するなら早い方が良いし、出産するなら覚悟を決めなければならないとも言われました。
橋本さんは、喉の奥に重たい物が生じる感覚に陥りました。目の前ではあの猫が、お腹を気にしながらもくつろいでいます。
団地の人たちの話では、その猫は1年半ほど前から見かけるようになったのに、妊娠した姿を見たのは今回が初めて。他の猫が近づくと、お腹をかばうようにしながら「シャー!」と威嚇するらしいのです。
保護猫活動では、妊娠した猫を堕胎させる判断をすることも珍しくありません。しかし、猫によってはその後に情緒が不安定になったり、人に対して攻撃的になるケースもあるといいます。
この猫の幸せを考えると、橋本さんは即断ができませんでした。猫を連れて店に戻り、スタッフと相談します。
「この子は、お母さんになる準備はできているようなの」
ケージに入れられた猫は、中から橋本さんとスタッフの顔を見つめていました。橋本さんたちも見つめ返します。そして、決めました。
「この子なら、お母さんになれる」
そう思えたからです。
■毎朝の体温測定、ついに出産か
決めたなら橋本さんの行動は早かった。まず猫に「デイジー」と名づけます。花言葉は「希望」。それから、隔離部屋の片隅にお産コーナーを作りました。
毎朝の検温も欠かしません。動物病院から体温が37.0度ぐらいまで下がったら出産が始まると聞いていたからです。保護してから10日間、ずっと体温は38度台でしたが、ついに体温計が37.5度を表示しました。2024年5月26日のことです。
「今日かもしれない!」
橋本さんはスタッフ全員に連絡を入れました。この感動をみんなで一緒に体験したかったからです。ボランティアスタッフの中には仕事中の人もいて、全員が集まれたのは夜の20時。みんなでその時を待ちわびました。
「もう生まれていますか?」
ひょいとお産コーナーを見ますが、まだデイジーちゃん1匹だけ。陣痛は始まっているものの、なかなか出産の兆候が見えません。デイジーちゃんはお腹が痛くて、橋本さんやスタッフの足元にゴロンとして、さすってくれと催促しています。
橋本さんやスタッフたちは、デイジーちゃんをさすったり水分補給を促したりと大忙し。デイジーちゃんが暑そうにしていると、うちわで扇ぐこともしたんですよ。
日付が変わるころ、デイジーちゃんは疲れて眠ってしまいます。この時、陣痛が始まって12時間以上経過していました。
■1匹目の「足」が見えた…逆子だ!
時計の針は5月27日の朝3時を指しています。橋本さんの体力も限界に近づいていました。デイジーちゃんの出産を決めた時、「感動して泣いちゃったらどうしよう」なんて可愛い悩みを抱いていたことが、急に恥ずかしくなります。
それでもデイジーちゃんから目を離すことはありません。ただその時を待つのみ。
ようやく出産前の出血を確認できたのが、朝4時。そこから約1時間後、最初の子猫の羊膜が見えました。でもスルンと生まれてきてくれない。よくよく観察すると「足」が見えます。
「逆子だ!」
橋本さんは慌てて動物救急病院に電話をかけました。ネット上では30分以内に対処しないと、母子ともに危ないと書いてあったからです。「どうか助けてください」と、電話口の獣医師に訴えます。獣医師は落ち着いた声で言いました。
「まだ破水していないなら、あと3時間は持ちます」
この言葉で橋本さんは落ち着きを取り戻しました。ここで自分がパニックになっては、助かるものも助からなくなってしまう。命を預かっているのは自分だ。そう気持ちを引き締め直しました。
■うんちまみれの出産補助で感動するヒマもない
それから格闘すること1時間。逆子の子猫は足を少し引っ張ってやると、ようやく生まれてきてくれました。しかし、デイジーちゃんは羊膜を拭ったりへその緒を切ってくれることはありません。それらはすべて人間の手で行いました。
1匹目の授乳をしながら、2匹目から4匹目まではスルンと出産。動物病院のエコーでは「4匹ぐらいだろう」と言われていたので、橋本さんたちはこれで出産が終わったと喜んでいました。
それなのにデイジーちゃんはまだいきんでいます。
先に生まれた4匹の子猫たちの「ニーニー」という鳴き声をバックに、橋本さんたちはバタバタと臨戦態勢に戻りました。それを確認するかのようにデイジーちゃんは5匹目を出産。もう終わりかと思っていたら、再びいきみ始め6匹目を出産。さすがにもうお腹はからっぽじゃないかと一息ついたら、なんと7匹目まで生まれてきました。
デイジーちゃんはもうヘトヘト。胎盤を出すのもやっとのようです。
橋本さんたちもボロボロです。服は羊水なのか何なのか分からないもので濡れていますし、手も体も気付けばうんちまみれにもなっていたのです。この時、橋本さんの口から自然と出た言葉があります。
「よく頑張ったね」
デイジーちゃんだけでなく、橋本さん自身にかけた言葉だったでしょう。
■奇跡を当たり前としない社会になってほしい
出産後、心配された育児放棄もなく、人間の育児補助は最低限。子猫は日に日に大きくなり、新しい家族のもとへ巣立っていきました。デイジーちゃんも素敵な家族に迎えてもらい、今では立派な家猫として暮らしています。
28時間の過酷な出産から約2年、橋本さんは改めて強く思うことがあります。それは、「安易な野良猫の出産を許さないでほしい」というものです。
デイジーちゃんは人間の補助があったからこそ、無事に出産ができました。もしそれがなければ、1匹も命を残すことなくそのまま亡くなっていたでしょう。それはただ命の灯火が消えるだけではありません。街の公衆衛生にも関わる問題です。
橋本さんは言います。
「デイジーと7匹の命は、偶然と努力が重なった奇跡だと思います」
もし野良猫に「産ませてあげたい」と思うのであれば、ただ見守るだけではいけません。覚悟と知識が必要です。近くの保健所や動物病院、保護猫団体に相談してほしいとも橋本さんは言います。
一人で抱え込み不幸な猫を増やす前に、助けてもらえる人を見つける。それが猫も人間も守る第一歩なのでしょう。
(まいどなニュース特約・ふじかわ 陽子)
























