お風呂に浸(つ)かっている時って、アイデアが思いつくというし、小説の展開が、ああだからこうなるんだ!と閃(ひらめ)いたりもするけれど、お風呂に入っている時の考え事は、まあベッドでよりは明るい気持ちでできるのだけど、すごく胸がぎゅっとなってきたりもするもので、もうずっと音楽を流して、考える隙のないように、最近はしている。
私は考える際には、時の音しか聞こえないような静寂が必要だから。お風呂に入っている時は体の感じる温度の差によって、ひゅっと寂しくなるんだよと言われたことがあるけど、どうなんだろう。
夏休みの朝に、皮膚がふやけるほど妹と入っていた水風呂とかは、温度差があっても寂しくなかったけど。顔を沈めてペットボトルで、空気を届けることはできるかなと実験していた。
膨らませるタイプのプールを家の前でやって、捕まえてきた蛙(かえる)たちの王国とした。自分たちがもう遊んだ後の、水の減ったプールに、砂場道具とかを浮かべて、舟だよもしくは家だよと。段の間に蛙は潜り込んでいった。泳いで、道具と道具の間を渡ってくれると嬉(うれ)しかった。蛙たちは何か考えるような顔つきで漂った。背をかくっと丸めて前を見て、顔を向けている方へ飛んで、逃げていってしまうのだ。
去年の冬は子どもの、水泳教室について行っていた。温水プールから湯気が上がり、半地下でガラス窓の、あちらは植え込みの深い緑で、夕方から夜にかけて、室内プールが端からどんどん暗くなっていくのを、私は観覧席に座って見た。柱の電気が水上に、形を変えつつ表れるのを。表面の水は粒になることができ、奥深くの水はできないのを。寄せては返すというよりは、それぞれの、動く人々を中心として、発せられる波を。
【いどがわ・いこ】1987年生まれ、西宮市出身。関西学院大卒。高校の国語教師をしながら作家の道へ。第1詩集「する、されるユートピア」で中原中也賞。小説「この世の喜びよ」で芥川賞。




















