その日、13歳の少年は、二見港(明石市二見町東二見)に停泊中の船の甲板にいた。当時、近くに住んでいた近藤正平さん(94)=明石市藤江。石炭を運ぶ船に乗り込み、遊んでいた。1945(昭和20)年7月24日、昼ごろのことだ。
数キロ離れた沖合には、神戸高等商船学校(現神戸大)の練習船「進徳丸」が停泊していた。突然、山手から米軍の艦載機が姿を現し、近藤さんの真上に飛んできた。「パイロットの顔が見えるほどの低空飛行やった」
「バリバリ、バリバリーッと、進徳丸に向かって、ものすごい機銃掃射をやったわけね」。近藤さんが、まるで昨日のことのように語る。「空から、薬きょうがバラバラと落ちてきた。ものすごい音、ごっつい音で怖かった」
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「練習船進徳丸史」(進徳丸史編集委員会編)によると、進徳丸には同校や東京高等商船学校などの計162人の実習生が乗っていた。
























