姫路空襲をはじめ、戦中戦後の経験を語る武市眞子さん=姫路市内
姫路空襲をはじめ、戦中戦後の経験を語る武市眞子さん=姫路市内

 自宅にあった「日本最高峰」のピアノを空襲で失った。姫路市で生まれ育ち、日ノ本学園高校(同市香寺町香呂)で教師を務めた武市眞子(たけちまこ)さん(93)は、1945年にあった2回の空襲を経験した。当時12歳。幼いころから「危険があっても、何でもやれてしまう」活発な子どもだった。しかし空襲の夜は「動かず、じっと空を見上げていた」という。(田村 歩)

 32(昭和7)年に生まれ、母と伯父との3人暮らしだった。姫路城の近くで育ち、お堀や「お菊井戸」が遊び場だった。当時では珍しく、アップライトピアノがある家だった。

 芦屋に下宿していた叔父が音楽の先生で、「まーちゃん(眞子さん)に女の子らしい教育を」とピアノを贈ってくれたという。「近所の調律師のおじさんに『日本の最高峰のピアノ。大切にして』と言われた」と懐かしむ。