空襲で黒焦げになった小寺久蔵さん宅のれんが塀。被害を今に伝える=尼崎市西長洲町2(撮影・小林良多)
空襲で黒焦げになった小寺久蔵さん宅のれんが塀。被害を今に伝える=尼崎市西長洲町2(撮影・小林良多)

 猛火にさらされた赤れんがは、所々すすで黒ずみ、鈍い光を放つ。尼崎市西長洲町2の小寺久蔵さん(85)宅の庭に立つれんが塀。戦時中の焼夷(しょうい)弾による火災にも焼け残った。

 市内は太平洋戦争末期の1945年3~8月にかけて、8度の空襲を受けた。市域の約1割が焼失し、死者は479人に上った。西長洲町の被害は特に大きく、市内最多の犠牲者が出たとされる。