満員の傍聴席から記者が見ているのは、30歳の男だった。大人が少年法を適用して殺人罪で裁かれようとしている。神戸地裁で最も広い101号法廷。2010年10月、神戸市北区で高校2年の堤将太さん=当時(16)=が刺殺された事件は発生から13年を経て、23日に裁判員裁判の判決が言い渡される。「17歳のときの私は…」。男は未成年だったことを強調するように繰り返し、検察席にいる遺族は厳しいまなざしを向けた。4日間の日程で争われた審理を振り返る。
■遺族に目を合わさず
「なぜ将太はあなたに殺されなければいけなかったのですか?」
審理3日目。将太さんの父・敏さん(64)は被告人質問に立ち、この公判ではっきりさせたかった疑問を直球で尋ねた。
これに対し、男はまたも「17歳のときの私は」と前置きして答えた。
「被害者が家の近くまでやってきた来た不良グループの1人だと考えてしまったからです」
精神鑑定時から語り始めたとされる動機を述べ、殺意を繰り返し否定した。
敏さん「将太が『痛い』と言うのを聞いたとき何を思いましたか」
男「何も思いませんでした」
敏さん「うつぶせで倒れている将太をまた背中から刺して、それでも死ぬと思わなかったのですか」
男「思わなかったです」
敏さん「将太がどれだけ痛かったか、苦しかったか分かりますか」
男「分からないですね」
男は冒頭だけ検察側の席にいる敏さんの方を見たが、すぐに目をそらした。約20分間のやりとりの間、男は裁判長が座る正面に顔を向けたままで答え続けた。
男はそれまで法廷で将太さんや遺族への謝罪の言葉も述べていたが、敏さんにはそれが本心とは思えなかった。
「もうずっとがっかり。一切の誠実さを感じなかった」。閉廷後の会見で、敏さんは険しい表情で言った。
「うなずけるところが一ケ所もなかった。ちょっとでも、うなずけるところが」
■二つの救い
日に日に疲労の色が濃くなっていった敏さんの表情が、わずかばかり明るく見えたことが2回あった。
一つは、男の刑事責任能力を調べるための精神鑑定を担った医師の証言だった。
医師はもともと弁護側の請求によって裁判所が選任した人物だったが、法廷では「被告に事件当時精神障害はなく、統合失調症を装った詐病の疑いがある」と言及した。
その日の会見で敏さんは、社会に訴えかけるように言った。「(男が)『覚えてない』と今まで言ってたのが全部うそだった。取り調べのときとあまりにもかけ離れたことを言ってるのが暴露された」
もう一つは、検察が「懲役20年」を求刑したときだった。
検察側にとっては、少年法に基づく刑の軽減をすり抜けるために導き出した結論とみられる。男は成人後も逃亡生活を続けていた。それは一日一日、さらに罪を重ねていく行為に他ならないと、敏さんは感じていた。少し納得できたのは、代理人の言葉を借りれば「(遺族の)峻烈(しゅんれつ)な処罰感情」への配慮が感じられたからだった。
面識もなく、通り魔に襲われるような形で命を奪われた将太さん。敏さんは結審後の会見で、「考え得る一番重い刑を求刑してくれたのは少し報われたように思う」と話した。
■それぞれの13年
審理最終日となる4日目。検察側の論告に先立って遺族5人による意見陳述があり、将太さんの両親と2人の姉、兄が一人ずつ、順番に思いを語った。
将太さんの8歳上の姉は当時、母親からの電話で事件を知り、病院へ急いだという。「30分以上心臓マッサージを受けた将太は、眠っているようでした」
家族がそろっても、両親は混乱と憔悴(しょうすい)で何かを判断できそうな状態ではなかった。「将太がつらそうだからもうやめてあげよう」と、心臓マッサージの中止を受け入れた瞬間をよく覚えている。
「将太の『生きたい』という希望を私が絶ってしまった。そんな後悔を今も背負い続けている」
今なお逃れることのできない喪失感、苦悩、怒り…。それぞれの「あの夜」が語られると、傍聴席からすすり泣く声が聞こえた。
ぐったりと倒れた息子の手を握り、名前を呼び続けた敏さんが振り返った。
「今思い出しても、あのとき、あの場所に気持ちは引き戻され、息が詰まり、内臓が締め付けられるような思いをします。あのときあの瞬間、私たちの心も殺されたようなものでした」
ちょっとやんちゃで、小心者だけど人の気持ちがよく分かる、甘えん坊の末っ子だった。あの年の夏。電気工事の仕事を継いでみるかと聞くと、飛び跳ねて喜んでくれた。
そんな夢も希望も、全て凶行に奪われた。
会話が消え、家族がばらばらになりそうなのを感じながらも、敏さんは情報提供を求めるビラ配りや命の大切さを伝える講演で声をからしてきた。犯人逮捕への執念を燃やし、たどり着いたこの裁判もまた「将太のため」だと言い切る。
「将太を返してください。生活を元に戻してください」
静まり返った法廷の空気を打ち震わすように、敏さんの声は傍聴席の隅まで響き渡った。
男は5人が順番に話す姿を約1時間、じっと見つめていた。時折顔を赤らめているようにも見えたが、一体何を思ったのだろう。
審理の最後に再び謝罪を口にし、「過去の自分はあまりにも未熟でした」と述べた。
真実を知りたい-。その一心で裁判に臨んだ敏さんの表情は、結審後も緩むことはなかった。
「一つでも出てきましたか? 何の真実も語ってないでしょう。いまだうそで塗り固めている。何にも真実は分かっていない。本人たちからは結局、語られなかった」
神経をすり減らしながら、限られた時間と方法で伝えたいことをぶつけることができたか自問する。
「やりきれたかどうかは将太に聞いてみないと分からない。今度聞いてみます」
判決は23日午後2時半から、同じ101号法廷で言い渡される。