戦争が終わって10年と少し。神戸市生田区(現中央区)北長狭通1丁目の音楽喫茶「月光」の周辺には、焼け跡に建った木造のバラックが並んでいる。食堂や洋食店、中国料理店、バーなどがたくさんあった。喫茶店には若いアベックらが集まる。下町ではコーヒーが25円ほどで飲めるのに、三宮の高級店では数百円。ときどき停電があって、店内が真っ暗になる。
月光の向かいにあるのはジャズ喫茶「バンビ」。月光に出演するミュージシャンが休憩に使う。月光で働くようになった石井順子も、よくコーヒーを飲んだ。そのすぐ南側には喫茶「エリーゼ」。阪急三宮駅西口の北には喫茶「ウィーン」があった。エリーゼでは弦楽器で名曲を生演奏している。店内が広いウィーンもクラシック音楽のレコードをかけている。
月光のメニューはコーヒーやケーキで、ソフトクリームも人気があった。「行くのは禁止」と言われていた高校生もこっそり来店した。順子は女子生徒に「お姉さま」と呼ばれ、色鉛筆でハートを描いたファンレターをもらった。エディ・フィッシャー(俳優キャリー・フィッシャーの父)が歌い、雪村いづみがカバーした「オー・マイ・パパ」などをリクエストされた。