坂を登ると海が見える。海岸沿いを電車が走る。海上に花火が上がる。いかにも、港町・神戸らしい。
実際、千年以上の歴史がある兵庫津(ひょうごのつ)の存在は、古くは平清盛による福原京への遷都を実現させた。19世紀半ばの開港を機に、寒村が日本有数の大都市に躍り出た。良港は、このまちに繁栄をもたらした。
しかし、ちょっと待てよと立ち止まる。「神戸らしさ」って何だろう。
神戸は東西36キロ、南北30キロもある。広大な土地のここかしこで、150万近い人々がそれぞれの暮らしを営む。「港町」は神戸の代名詞のようでいて、横顔のほんの一部ではないのか-。
私たちは、東西南北それぞれの市境に足を運ぶことにした。海を隔てた淡路島との境界なんて考えたことがなかったが、意外な事実を知った。およそ海とは無縁の、むしろ水に乏しい地域では農の営みに触れ、19世紀後半の開港直後とは異なる、新しい国際性と寛容なまちの精神を市街地の一画で胸に刻んだ。驚いたのは、そもそも境界が設けられていない場所すらあったことだ。
1889(明治22)年、神戸市は誕生した。市域は現在の4%ほどの約21平方キロメートル、人口は10%以下の13万人台。現在の中央区と兵庫区の一部で始まり、東は灘、東灘へ、西は長田、須磨、垂水へと拡大。西区や北区も含め、現在の市域がほぼ固まったのは1958年、戦後10年以上たってからだ。
市境で感じたもう一つのことは、神戸の多彩さと懐の深さ。市域の変更で行政区分が設けられても、人々の暮らしは急には変わらない。三木市との境では旧美嚢(みのう)郡、三田市との境では旧有馬郡といった、古くからの生活文化圏の影響が今なお残っていると強く感じた。
「神戸は多様性のまちです。好奇心旺盛な神戸っ子は、なんでも受け入れていくのです」
郷土史に詳しい神戸大学名誉教授の神木哲男さんの言葉を思い出した。
好奇心旺盛な読者の皆さんも、広い広い神戸の旅へ。(連載取材班)























