スマートフォンの画面を開くと、欲しい情報が突然表示されたり、似た考えの投稿ばかりが並んでいたりすると感じませんか。
AI(人工知能)やSNS(交流サイト)のアルゴリズムという技術が後押しして、見たくない意見や不都合な真実は、無かったことのようになっています。真偽の怪しい情報があふれる中、画面に映るものは現実でしょうか、それとも幻なのでしょうか。
昔の人は、目の前に突然怪しいものが現れれば、「妖怪」だと感じて回避し、現実と幻が曖昧なことが起きると「狐(きつね)に化かされた」と考えました。
例えば、狐の仕業で、道を惑わされたり、もらった紙幣が木の葉に変わってしまったりするお話は、全国共通で語られています。厳しい暮らしの中で、違和感や嘘(うそ)を見抜く眼は、今よりずっと鋭く、大衆が当たり前に持ち合わせていた感覚だったのかもしれません。
ここで、1881(明治14)年に刊行された月岡芳年の浮世絵「東京開化狂画(きょうが)名所」の一つを見てみましょう。
隅田川の桜の名所(墨堤(ぼくてい))で花見を楽しむ様子が描かれていますが、女性たちには尻尾が生えており、化け狐であることが分かります。取り巻きの狐たちに心地よい幻を見せられ、一人悦に入る明治新政府の官僚を揶揄(やゆ)しているのかもしれません。よく見ると、料理の器のように手前に振る舞われているものは、なんと木製の便器です。なぜ便器なのでしょう。
実は当時、感染すると3日で死に至ると恐れられたコレラが大流行し、感染者の排せつ物によって井戸などの飲み水が菌に汚染され、感染爆発を起こしました。79(明治12)年には、この風光明媚(めいび)な墨堤の地に、感染者を強制的に隔離するための病院が建設され、花見の宴の景色は幻と化してしまったのです。
人口急増による衛生環境の悪化を招き、強引な対策を行う新政府を痛烈に風刺した絵と考えられ、大衆はそれを直感的に理解し、大いに共感したことでしょう。
それから145年、誰もが同じ情報を見ていた時代が終わり、大衆感覚が失われつつある現在、画面に映るものは、さながら化かし合いの妖怪合戦です。道を惑わされ続け、紙幣が木の葉のごとく転落する現実を前にし、化けの皮を剝がす眼差(まなざ)しを取り戻すべきは、ほかならぬ私たち自身なのです。
























