2017年、町のイベント告知に協力して食堂で写真に収まる山本保さん(左)、寿子さん夫妻=市川町西川辺(市川町提供)
2017年、町のイベント告知に協力して食堂で写真に収まる山本保さん(左)、寿子さん夫妻=市川町西川辺(市川町提供)

 市川町役場(兵庫県市川町西川辺)の1階で50年にわたって食堂「ひまわり」を営んできた店主の山本保さんが8月5日、80歳でこの世を去った。妻寿子(ひさこ)さん(77)と二人三脚で切り盛りした半世紀だった。物価が上がる中でも日替わりの定食は価格を据え置き、300円で提供した。別れを惜しむ声は1カ月がたっても尽きず、寿子さんは「夫が好かれていたのだと分かってうれしい。みなさんに感謝を伝えたい」と思い出を振り返る。(喜田美咲)

 ご飯とみそ汁。煮魚やホウレン草とニンジンの白あえなど、彩り豊かなおかずが2品。正午になると、だしの香りが立ちこめる食堂に職員らが列を作る。カレーライスの日に決まって大盛りにする職員は、もう顔を見れば分かる。

 同町で生まれ育った保さんは高校卒業後、ガソリンスタンド勤務を経て、調理専門学校に入学。卒業後は姫路市内の料亭で腕を磨いた。

 故郷の岡山を離れ、姫路の会社に勤めていた寿子さんと出会ったのはその料亭。寿子さんが休日を生かしてアルバイトに入ったのがきっかけだった。黙々とすしを握る保さんの姿を見ているうちに、自然と距離が縮まった。

 市川町の現庁舎が開かれた1974年、修業を始めて1年ほどたった保さんは寿子さんと結婚。同じ年、当時の町長と親しかった兄から声をかけられ、役場1階の一角に店を出した。

 昼食や喫茶の営業に加え、会議用の弁当や兄の営んでいた葬儀場への仕出しなど、さまざまな発注に対応。正月以外、ほとんど休みなく働いた。保さんは定位置のこんろ前で、寿子さんは小鉢の準備などに忙しくする間、言葉はなくても息が合った。

 午前7時45分。食堂の角にあるテレビ前のソファに座り、コーヒー片手に新聞を読みながら一日は始まった。1人、また1人と顔を出す地元の友人らと何げない会話を楽しむ。寿子さんが配達へ出るときは「気をつけて行けよ」。3人の娘も幼い頃はこの店で放課後を過ごし、最近は孫も訪ねてきた。

 「一日のほとんどを過ごした、夫の一番好きな場所」と寿子さんは振り返る。

 9代にわたる町長のまちづくりを見届け、親子で役場に勤める職員もよく知る。「きのう阪神勝ったな」「子ども生まれたんか」。顔を合わせると、いつかの続きの話をする。

 かつては議会が延びて午後5時を回ると、食堂のうどんで腹ごしらえをしてから議論の続きに臨んでおり、「うどん議会」と呼ばれたという。青年団の会議では若者たちがミックスジュースを楽しみにした。

 入庁当時は毎日のように通っていたという税務課の後藤範一さん(60)は「残業した日の夜食や、宿直明けの朝ご飯も食べた。優しく懐かしい味に育ててもらった」と振り返る。

 開店当初に200円だった定食の値段は一度100円分上げたが、「いつ値上げしたかは忘れた」(寿子さん)というほどかなり前のこと。「子どもも巣立ち、2人の楽しみでやっていただけなのでもうけは気にしなかった」とあっさり話す。

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 5月には金婚式を迎え、「これからはたまに2人で出かけよう」と旅行やプロレス観戦を楽しんだ。しかしその翌月、保さんが急性胆のう炎を発症し、手術のために食堂を休業。療養を経て7月に再開し、調子を取り戻してきたところだった。

 8月5日の朝、突然けいれんを起こして搬送され、帰らぬ人となった。前日まで弁当を配達していたため、急な別れに家族も戸惑った。広く知らせないまま開いた葬儀に、多くのなじみ客や地域の仲間たちが集まってくれた。

 現在、店は「休業」としており、まだ先のことは分からない。

 「ずっと走り続けてきたから、ゆっくり休んでね。楽しく過ごさせてくれてありがとう」。思い出を語る寿子さんは時折、テレビの前のソファを優しく見つめた。