震災から30年の歩みを振り返る小島汀さん=大阪市北区
震災から30年の歩みを振り返る小島汀さん=大阪市北区

 3歳の時、芦屋市で阪神・淡路大震災に遭い、父親を亡くした会社員の小島汀(おじまみぎわ)さん(33)。震災から丸30年になるのを前に、自身の歩みを振り返る手記をつづり、神戸新聞に寄せた。

 1995年1月17日、小島さんと4歳上の兄、両親が暮らしていた同市津知町のアパートは全壊した。並んで寝ていた4人はその下敷きになり、父親の謙さん=当時(36)=は死亡、母親も大けがを負った。

 汀さんは99年にできた全国初の遺児支援施設「神戸レインボーハウス」(神戸市東灘区本庄町1)に通い、高校時代は兵庫県立舞子高校環境防災科(同市垂水区学が丘3)で学んだ。

 海外の遺児と交流したり、東日本大震災の被災地を何度も訪れたりするなど、さまざまな出会いを重ねてきた汀さん。「自分の言葉で、30年の生きざまや気持ちを記し、それが誰かの役に立てたらうれしい」とし、「お世話になった人たちに、『元気に過ごしています』と感謝を伝える機会にもなれば」と話している。

 連載「30年の手記 汀さんと震災」は随時、ひょうご総合面に掲載。震災後に生まれた子どもや若者が震災を学ぶサイト 「1・17つなぐプロジェクト」でも読むことができる。(中島摩子)