事故発生時刻に合わせて黙とうするJR西日本の長谷川一明社長(中央)ら=25日午前9時18分、尼崎市久々知3(撮影・斎藤雅志)
事故発生時刻に合わせて黙とうするJR西日本の長谷川一明社長(中央)ら=25日午前9時18分、尼崎市久々知3(撮影・斎藤雅志)

 乗客106人と運転士が死亡した尼崎JR脱線事故は、25日で発生から20年を迎えた。事故現場のマンション跡に整備された追悼施設「祈りの杜」(兵庫県尼崎市久々知3)では追悼慰霊式が営まれ、遺族や関係者ら約330人が参列し、祈りをささげた。

 9階建てだった現場マンションは4階部分までが残され、破損した壁が衝突の激しさを伝える。事故が起きた午前9時18分ごろ、現場カーブを普通電車が通過、乗務員は静かに頭を下げた。沿道では手を合わせる関係者らの姿がみられた。

 慰霊式は一般非公開で行われた。慰霊碑前に広がる芝生にいすが並べられ、遺族や負傷者らが席を埋めた。JR西日本の長谷川一明社長が、加害企業としての責任に触れ「ご遺族の今なお癒えない悲しみやつらさを拝聴し、命を奪った責任の重さを感じます。事故に正面から向き合い、さらなる安全性の向上につなげます」と誓った。

 続いて息子を亡くした遺族女性の言葉を同社役員が代読。「事故で一番好きな季節が一番つらい季節になりました。子どものころから正義感の強い息子でした。夢の半ばで突然命を奪われ、きっとまだまだ生きたいと、悔しかったと思う」と読み上げた。その後、参列者が順に献花した。

 現場を訪れたくない、遠方に住んでいるなどの理由で参列できない遺族らもいる。式典の様子はオンラインで配信され、尼崎市内の別会場で中継した。

 事故後、JR西は懲罰的な「日勤教育」や、余裕のないダイヤ編成を見直した。遺族や専門家らと事故を検証した「安全フォローアップ会議」の提言を受け、2016年には人為ミスは非懲戒とし、報告を促して安全対策に生かす仕組みを導入した。

 安全を優先する企業風土への変革を目指しているが、17年に新幹線の台車亀裂問題が起きた。23年には大雪で多数の列車が立ち往生し、乗客約7千人が長時間閉じ込められるなど、トラブルはなくなっていない。

 事故後入社は7割を超え、事故後に生まれた世代も入社するようになった。事故の原因究明や再発防止を願ってJR西と対話を続けてきた遺族らも高齢化し、風化の懸念は年々高まる。

 12月ごろには大阪府吹田市の社員研修センター隣に事故車両の保存施設が完成する。遺族らの間で賛否が割れている一般公開は見送られる。社会全体に事故の悲惨さをどう伝えていくか。課題は残っている。(若林幹夫)

【尼崎JR脱線事故】2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が脱線し、線路脇のマンションに激突、乗客106人と運転士が死亡、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。JR西日本の歴代4社長が業務上過失致死傷罪に問われたが、いずれも無罪判決が確定した。ミスをした乗務員に対する懲罰的な教育などJR西の企業体質が事故原因の背景にあると指摘された。