パリ・パラリンピックで初の金メダルを目指す上地結衣=4月19日、三木市
パリ・パラリンピックで初の金メダルを目指す上地結衣=4月19日、三木市

 パリ・パラリンピックの車いすテニス女子で、悲願の金メダルを目指す上地結衣(30)=三井住友銀行、明石市出身=が、シングルス、ダブルスともに決勝に進出した。「なんで歩けなくなるんやろ」。当時小学4年生ごろ。「みんなと違う」とふさぎ込む心を救ってくれたものが、車いすテニスだった。

 上地が選手として神戸新聞に初登場したのは、明石市立大久保小6年の2006年4月。以降も本紙のインタビューに応え、子どもの頃を振り返る取材メモが残っている。

 「補装具をつけないと歩けなかったけど、歩いた方がいいと言われていた。ドッジボールやサッカーはみんなに交じって。体を動かすのが好きだった」

 生まれつき脊椎に障害があったが、自宅と小学校を歩いて登下校し、体育などの授業も担任らのサポートを受けながら同級生と同じように過ごした。だが、4年生になると、体重が増えて脚で支えきれなくなり、車いすを頼った。

 友だちと外に遊びに行くことが減り、落ち込んだ。見かねた両親が車いすでもできるスポーツを探してくれた。最初はバスケットボール。そして、4学年上の姉がソフトテニスを始めたことから上地もテニスにかじを切った。

 競技の特徴も気に入った。車いすバスケはシュートを決める上半身の強さが求められたが、車いすテニスは「パワーよりも技術やタイミング。頭で考える」と上地。「ダブルスは少し違うが、(基本は)自分で全部をどうにかしないといけない」と、個人競技ということも負けず嫌いな性格に合った。

 急速に力を伸ばし、市立大久保中3年の09年夏、世界国別選手権のメンバーに選ばれ、人生初の海外となる英国に遠征。各国を転戦する生活が始まり「みんな(同級生ら)が見られない世界を見ることができる。自信になった」。海の向こうの世界には元々興味があったため、現地の人たちとの交流や食事を楽しみ、ホームシックになることは一度もなかった。

 地元の明石商高3年で自身初のパラリンピックとなるロンドン大会を経験。東京大会まで3大会連続で出場し、計三つのメダルを手にしたが「金」には届いていない。打開するために指導を請うたのが、昨年1月に引退し、国民栄誉賞に輝いた車いすテニス界の先人、国枝慎吾さんだ。

 上地は「(攻め方や車いすの調整など)たくさんの選択肢を出してくれる。自分のプレーに当てはめた時に想像できる問いかけやアドバイスばかり」と感謝。パリでの戦いに生かしている。

 11歳で競技を始めて20年目。海外での国際大会初優勝は10年1月の「クライフ財団ジュニアマスターズ」で、開催国がフランスだった。縁起が良い街で、日本のエースに栄冠は輝くか。(有島弘記)

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