セピア色の白黒写真に、着物と洋装の7人が並んでいる。兵庫県豊岡市街地と城崎温泉街が灰じんに帰した1925(大正14)年5月23日の北但大震災から程なく、一家が仮住まいしていた同市内で撮影されたという。同市城崎町湯島の岡本靖子さん(94)が大事にしてきたアルバムの1枚で、靖子さんの父母や父の姉妹、祖父母が写っている。
7人の中で一番幼いのは震災当時、城崎小学校6年生だったという叔母のきくさんだ。10年以上前に亡くなったが、生前に数多くの短歌を詠んだ中に、「城崎大震災を想ひ出して」と題した5句を残していた。
「余震つづく深き亀裂の校庭を 無中で逃げしよ六年生なりき」「傾ける校舎の棟に閃光(せんこう)はしり 一瞬火柱天をつきたり」「地獄絵にまごう湯の町下に見て 嗚咽(おえつ)の中に父母を呼ぶ」「跣(はだし)にて逃げし裏山越しゆけば 線路に放心の人の群つづく」「老い深む今もまざまざと少女期の あの強烈な情景忘れづ」(原文まま)。小学生が見た当時の情景が、三十一(みそひと)文字で生々しく記録されている。
きくさんの姉まささんは豊岡高等女学校(現豊岡高校)の生徒で、修学旅行先の東京で郷里の被災を知った。靖子さんの祖母、しまさんも家屋の下敷きになったが、祖父に助け出された。靖子さんに伝承された一連の家族の被災体験は、全て祖母から聞いたものだという。
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祖父母ら家族は震災前、同温泉街の外湯「一の湯」から少し上(かみ)(西側)の道路沿いで、みそやしょうゆなどの日用品を扱う「京屋」という雑貨店と、大谿川に面した木屋町側で畳店を営んでいたという。
5月23日の昼前、祖母は土間で食事の支度をしていた。突然、家がドスンと上から崩れ落ちたが、土間部分に空間ができ、難を逃れた。だが、行く手を阻まれて脱出できない。そこに、外出先の菩提(ぼだい)寺から戻ってきた祖父から「どこだー!」と声をかけられ、がれきの下からドンドンとたたいて「ここだー、ここだー」と大声を張り上げ、祖母は助け出された。間もなく西方面から火が回り、自宅も蔵も全て焼き尽くされたという。
まささんは、修学旅行中で助かった。当時の新聞などには、急きょ引き返し、郷里の惨状に涙する女学生の様子が伝えられている。
きくさんは、城崎小学校で被災し、山を伝って温泉街から離れた城崎町今津方面へ逃げたと聞く。当時の記録などによると、学校にいた児童は全員避難して無事だったが、校舎は後に焼失した。
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靖子さんは震災4年後の29(昭和4)年生まれ。長男だった父猪之助さんは東京で働いていたが、靖子さんが3歳の時に31歳で早世したため、父の古里である城崎に戻った。時代は戦時色が濃くなっていく。
自らは国民学校を卒業後、尼崎市の軍需工場で終戦を迎える。地下工場でプロペラを作り、焼夷(しょうい)弾の雨あられも経験。戦時中は勉強らしい勉強はできず、終戦後、念願の女学校でやっと学ぶことができ、ノートを自作しては働きながら学んだ。「めまぐるしいばかりの時代。本当に大変な時代を生きてきました」(阿部江利)
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第2部は、激しい揺れや猛火を記録する史料や遺物、所有者にまつわる物語を3回にわたって紹介する。
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北但大震災が発生した1925(大正14)年5月23日の状況を伝えた神戸新聞紙面(5月24日付)と、テキスト化した記事を掲載しました。紙面の丸数字を参考に、記事テキストをご覧ください。
①【山陰山陽にわたって強震起こり、震央地但馬一帯 被害惨烈】
曇り日の23日午前11時及び同14分30秒の強震と、数回引き続ける余震に人心恐々
-豊岡城崎は烈火にて全滅す。関東大震災に匹敵する惨事
23日午前11時10分及び同14分の2回にわたり、中国方面一帯にわたって突如強震起こり、これがため、但馬豊岡、城崎方面ならびにこれに近き京都府下竹野郡久美浜町方面では、家屋倒壊火災起こり、おびただしき死傷者を出し、電信電話また故障を生じ、山陰線ではトンネルの崩落せるものあり。なお列車の立ち往生、随所に生じ、関東大震災以来の惨害を被った。同時に各地方とも人々の驚愕ひとかたならず、人心極度の不安を感じ、いま戦々恐々たるありさまである。
②【200戸あまり倒潰し、豊岡全町猛火に包まる】
停車場倒れ列車不通となり、町民死傷すこぶる多し
◎上下動5回
豊岡町方面に23日午前11時9分、俄然大震起こり、約5回にわたる上下動あり。4、5カ所より火を発し、今なおさかんに燃えつつあり、人家倒壊するもの数百、死傷者多数あり。城崎方面も被害甚大の見込み。震源地は但馬地方の見込み。なお江原駅付近で客車転覆し、数人の死者ある見込み。物資の救援頼む(23日午後4時、和田山にて高津特置員発電)。神鉄局に達したる情報によれば、山陰線豊岡駅にては給水タンク倒れ、駅全半壊し、豊岡には火災が起こっている。なお同線503号列車は、城崎玄武洞間にて、途中線路故障のため、立ち往生をするに至った。鳥取以西は電信電話不通のため状況不明。
神鉄局大阪運輸事務所に達したる情報によれば、被害甚大と認められつつある城崎郡豊岡町では倒壊家屋200戸に達し、死傷はなはだしく、さかんに燃え、全町大混乱を呈しつつある。なお城崎豊岡間で立ち往生した503号旅客列車救援のため、生野駅より工夫材料等を送った。(福崎電話)
23日の地震は城崎、豊岡間6マイルの被害が最も激甚にて、豊岡駅前の人家200戸倒壊し、駅の官舎給水タンクも倒壊。豊岡町にては7カ所にわたって火災を起こした。また豊岡以西は電信電話鉄道ともに不通となったが、同以東は変わりなく、福知山駅より山本駅長ら現場に駆け付けた。鉄道の不通カ所は、駅員が徒歩連絡を取っている。(大阪運輸事務所着報)
◎救を求むる避難者
豊岡町は、倒壊家屋多数にて火災を併発し、家屋の下敷きになって救いを求むる者、非常に多きが、救うに道なく、罹災者は豊岡駅に避難し居るも、電燈消滅し暗黒世界のため、救済の方法つかず、阿鼻叫喚の有り様である。この上は軍隊の出動を要すると。(京都電話)
◎流言さかんに行わる
豊岡並びに城崎両町の在郷軍人、青年団は、協力して物資の配給や避難民の救護その他寝具等の手回しに奔走しているが、流言さかんに行われて、付近各村民は、自物の警戒に努めている。
③【猛火各所に起こって湯の町城崎全滅す 死傷算なく酸鼻極みに達す】
◎神鉄局着福知山発
午後11時50分の入電によれば、城崎駅の向かい側プラットホームは極を残した他、母屋その他全部倒壊し、駅長官舎より出火。今燃えつつあり、竹野城崎間の芦屋トンネル(長さ1300フィート)は大亀裂を生じ、すこぶる危険の状態にあり、玄武洞駅は建物大傾斜をなし、危険。豊岡城崎間の鉄橋は破損カ所多く、運転不能となる。
◎大阪運輸事務所着情報
午後1時40分、城崎駅長より福知山運輸事務所宛てに発した電報によれば、豊岡城崎間で立ち往生していた503号列車は豊岡に引き返し乗客は無事で、自由行動をとった。
また、豊岡竹野間トンネルは全部崩落した模様である。城崎は目下火災を起こしつつあり、なお702号列車が竹野豊岡間で立ち往生しているが、城崎豊岡間では吹田発米子行き723号、米子発梅田行き648号各貨物列車も立ち往生している。
◎山陰線江原駅長発午後3時40分神戸鉄道局着
城崎町に午前11時10分激震起こり、倒壊家屋はなはだしく、まもなく各所に火災起こり、炎炎たる猛火はたちまち全町を押し包んで犴炎揚がり、至る所阿鼻叫喚の街と化し、午後2時半、同町はまったく灰じんに帰し、駅舎も午後2時半には全焼した。死傷算なく、酸鼻の極みに達している。
◎城崎はなお燃ゆ
豊岡町は5時30分ごろに至り、火災もやや下火になったが、城崎町は依然火災さかんにて、城崎駅には負傷者が多数避難している(23日午後6時報)
◎薬師堂だけが残る
23日午後9時10分兵庫に着した電話によれば、城崎町は薬師堂を残した他は全滅し
、豊岡町は目下火災に包まれている。
◎湯治客多数死傷か
午後1時50分着電によれば、城崎駅は陸橋向かい側の待合室を残しただけで倒壊し、駅付近官舎も全滅し、同町は火災を起こし、城崎温泉の浴客は大混乱をなし、死傷者はなはだしき見込み。大阪江原間は折り返し運転中である。
◎鉄橋十インチ陥没
兵庫県の救護隊の先発者たる岡村、鷲尾両警部の報告によれば、竹野、佐津間の鉄橋は8インチないし10インチ陥没して列車不通。豊岡町はなお焼けつつあり、浜坂は小郡を経れば列車が通うと。
③【瀬戸、津居山、湊方面に海嘯襲来してほとんど全滅】
-江原駅前では人家20戸火に包まる
-浜坂方面は状況不明
火災を起こした豊岡町の目抜き、滋茂町は、郵便局警察その他全町をなめ尽くし、目下駅前が盛んに燃えている。城崎からは情報がないが、同地方から辛く脱出して午後3時福崎駅に帰った旅客の話を総合すると、瀬戸、津居山、湊方面は海嘯のために全町浸水し、全滅の状態で、城崎温泉浴客は公園山へ避難して生きた心地もなく、一昨年の東京のそれを思い合わせて戦々恐々としている。豊岡駅の手前江原駅前は人家20戸火を発し、消防の力も及ばず燃えさかり、浜坂は電話不通である(福崎電話)
⑤【城崎町へ決死救援隊】
-豊岡駅長指揮の下に隊員10人急行
豊岡駅町徳田新七郎氏は駅員中から10人決死隊を募り、自らこれを引率して城崎に向かい出発したが、午後2時20分城崎に到着した旨、大阪鉄道局に電報があった。(大阪電話)
◎山陰線5鉄橋落つ
-隧道1カ所崩壊
午後3時40分大阪運輸事務所着の情報によれば、山陰線の鉄橋は第1大湊川、第2大湊川、第1芦谷川、第2芦屋川、竹野川の5鉄橋は墜落し、トンネル1カ所(日和山、桃島、芦屋のいずれか不明)前回したと。
◎佐津川鉄橋もまた墜落か
山陰線佐津川鉄橋(218尺)は激震のため破壊墜落した。(午後2時40分某所発神戸鉄道局着)
◎豊岡、鳥取間辛く通信
「通信省23日公表」豊岡は目下、2カ所の火災あり。市内家屋倒壊半壊死傷者はなはだ多く、豊岡郵便局は大部分倒壊す。執務不能のため、目下公園に臨時局を設け、市内電話を利用し、鳥取とかろうじて通信しつつあるも、表向き関係電報のほか取り扱わず。なお情報によれば、豊岡の電話交換室異常なし。電話局は屋根裏墜落のため通信不能、停車場は傾斜している。城崎竹野間のトンネルは破壊した。
◎救援を請う-城崎郡長より
23日午後9時55分城崎郡長より朝来郡長をへて、本県知事宛て来電によると、城崎町は全滅、内川村・湊村は大被害あり。これが救援のため、漬物、毛布、亜鉛板、ローソク等の救援材料、至急送付されたいと。
◎赤社救護班 震災地へ出動の交渉中
豊岡方面の被災はなはだしく、死傷者も多数に達せる見込みなので、日本赤十字社兵庫県支部では臨時救護班を編成、急派する計画で、目下兵庫県警察部に交渉。被災地の状況につき調査中である。なお、県当局にても本日、被害地状況視察のため、吏員多数但馬に急行した。
◎震災状況を奏上す
豊岡、城崎両町を最とし、但馬一帯の震害に関する報告は、内務通信鉄道の3省に集中しつつあり、右報告は接種するに従って、天皇皇后両陛下と摂政殿下に奏上しつつあるが、両陛下には罹災民の惨状をいたく御軫(しん)念あらせられ、御救恤(じゅつ)のため、内帑(ど)を下したまわるべく、1両日中に御沙汰あるべしと漏れ承る(東京電話)
⑥【震央地は但馬と決定】
-関西方面では稀らしい地震であった
-神戸海洋気象台の発表
23日の地震に付き、海洋気象台では観測の結果を左のごとく発表した。「地震計に感じたところによる発震時は、午前11時10分2秒、震動継続時18分間、最大震幅0・75ミリメートル以上に達し、弱震の強に達する。震央地距離は94キロ、深度60キロの上下動、性質は地滑りだろう。松山、岡山、浜松等よりの報告により総合するに、震央地は中央部但馬方面であろう」
-須田技師は語る
右観測の結果により同気象台の須田技師語る「神戸地方としては随分大きな地震であった。去る大正5年11月26日明石海峡付近を震源地とした地震以来の地震で、地震計に感じた今度のものはその時よりも弱かったが、しかし人体にはかなり強く感じたようだ。それから察しても震央地は随分ひどいだろう。余震は普通10回前後もあるが、今後の地震はたぶんないようにもある」と。
香住署管内 被害状況
香住警察署管内は倒壊家屋1戸、半壊6戸、負傷者6人、ぼや1件、避難民200人。
⑦【丹後方面震害】
-久美浜町倒壊50戸、死傷36人を算す
〈京都府県着電〉23日午前11時、京都府下熊野郡久美浜町付近に突如強震起こり、倒壊家屋はなはだしく、死傷算なし。救助を請う。峰山よりの情報によれば、久美浜町の倒壊家屋は50戸、死者の発見されしもの6人、負傷者30人。城崎、豊岡方面を望めば、黒煙もうもうたり(京都電話)
◎久美浜の惨害
久美浜発電熊野郡長の公電によれば、久美浜は被害最もはなはだしく、家屋の倒壊50、半壊150戸、死者7人、重傷10人、軽傷50人で、幸いにも火災は免れたが、郡下のほかの村落は比較的被害少なき見込みである。熊野郡役所は半壊し、はく路(水路)の決壊所々に生じ、余震来襲のたびに人心恐々たり。ちなみに全戸数は350戸であるが、被害戸数はその3分の2たる200戸にたらなんとしている(京都電話)
⑦【県下各地】
明石 11時8分ごろ、最初水平微動を感じ、約2分間にわたり漸次強大となり、一時終息した状態であったが、約5分間の後、さらに前回よりやや強大の水平動をなし、時計は大部分停止したほどで、戸外に飛び出すほどの騒ぎであった。
御影 11時過ぎ、ゴッという大きな音につれて、著し動揺を感じて、町民はみな屋外に飛び出した。柱時計はみな停止し、屋根瓦の落ちた家もある。
西宮 西宮市では2分間にわたり強く水平動を感じ、しばらくしてまた急に震動したが、3分後にしてやんだ。
福崎 神崎郡福崎方面は、11時10分より約30秒強震を感じた。一堂屋外に避難し、駅屋瓦が飛び、時計は止まったが、福崎根へ達した山陰方面の情報によると、豊岡以西方面では電柱の倒れたのがあると。
篠山 午前11時10分、約40秒の水平動あり、引き続き同14分、10秒間の水平動、同37分、約5秒間の上下動、正午に約5分間の上下動があった。ことに第1震は非常の激震で、30年来見ないものである。
加東 加東郡では23日午前11時12分、当地方稀なる強震あり。同15分またも第2回の強震で、人は皆戸外に逃走し、一時は非常な騒ぎであった。
姫路 午前11時12分ごろから約3分間強震あり、時計の振り子は止まった。被害なき見込み。
赤穂 赤穂郡赤穂町方面は、午前11時10分強震に襲われ、柱時計は止まり、バケツの水があふれ出したくらいで、震動35秒で止まったが、引き続いて2回の微震に見舞われた。
加古川 午前11時10分、近来稀なる激震起こり、人々はいずれも戸外に飛び出した。
曽根 印南郡地方は午前10時10分、突如として強震ありしも被害なし。
三田 午前11時過ぎ、強震ありしも被害なし。
西脇 多可郡西脇町では、午前11時ごろ、近来稀な地震があった。人畜に異状はないが、郵便局の時計は午前11時11分で停止した。
山崎 宍粟郡地方は午前11時10分、激震ありしも被害なし。
三木 美嚢郡三木町では11時13分ごろより9年ぶりの強震あり、はじめ上下動より終わり水平動に移ったが、人畜に被害なし。時計は13分で止まっている。
八鹿 午前11時過ぎ強震起こり、町民ことごとく戸外に出た。被害はない。
◎姫路駅で罹災者救護
-赤十字看護婦団出張 証明書も交付
姫路では、但馬地方震災と同時に、姫路署中村警部補の率いる15人の警察隊および消防隊が、同日午後6時発列車で急行し、9時15分には別項米200俵はじめ缶詰、梅干し等物資を貨車20輌に満載して発送した。姫路駅では、同方面行きの一般貨物は一時、同駅に留置し、駅構内には赤十字看護婦団出張。同方面からの罹災民負傷病者の救護に応じ、莉沙移民証明書を交付することになった。
◎電話機を携えて通信班出動
-姫路から豊岡へ
姫路駅に達した情報によると、豊岡町の倒壊家屋200、6カ所より出火して盛んに燃えつつあり、鉄道電話は養父、同電信は八鹿まで通ずるというので、姫路駅からはさっそく通信班を組織して、電話機20個を携え急行し、通信機関の復旧に努めつつあるが、未だに回復せぬ。
⑨【但馬地方震災 罹災者慰問袋募集】
-速やかに我が社に寄託されたい
23日朝の地震は、神戸地方において、我らのいまだかつて体験せざる大震動であったが、果たして震央地は我が県下の北部但馬地方を中心とするもので、通信、交通両機関も途絶さる今、被害の詳細は明確に判明せず。我が社はまさに社員数名と写真班とを現場に急派し、目下続々詳報を伝えつつあるが、ただ今の情報によれば、湯の都城崎町は全滅し、但馬の首都豊岡町もまた、被害激甚にして、至るところ火災起こり、罹災死傷民の数も微少ならず、関東大震災の一局部を再現したる光景が、我ら県民のひざ下に現出しつつある。今我らは、これを黙視するに忍びない。直ちにこれらの罹災民を救恤慰問するため、あえて県民諸君の同情に訴え、ここに慰問袋を募集せんとす。袋中の内容は何品を問わない。奮って速やかに我が社に寄託せられたい。 14年5月 神戸新聞社