日本には既に395万人を超える外国人が暮らし、幅広い分野でともに社会を支えている。「多文化共生」は遠い理想ではなく、私たちが生きる現実の課題である。
高市政権は「排外主義とは一線を画す」と言いながら、外国人を規制の対象としか見ないような政策に前のめりだ。昨年の参院選で急浮上した排外的な主張がこのまま日本社会に根を張るのか、2026年は重大な岐路を迎える。
国籍や文化的背景、価値観の違いを抱えた人々が、互いに安心して暮らすために何ができるだろう。地域と国の動きから考えたい。
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昨年11月、豊岡市の芸術文化観光専門職大学で、学生らがプロとの協働で制作した舞台「もう風も吹かない」が初日を迎えた。平田オリザ学長が作・演出を手がけ、03年に桜美林大学演劇コースの卒業公演でも上演された。舞台は近未来の40年、国際協力機構(JICA)が開発途上国支援で続けてきた海外協力隊の訓練所。財政破綻した日本は海外支援の停止を決め、最後の派遣候補となった若者たちが葛藤する姿を描く。
再演が決まった後、アフリカとの交流強化を図るJICAのホームタウン事業が「移民が増える」との誤情報で撤回に追い込まれ、20年前の作品は一気に現実味を増した。平田さんは「自国第一主義が広がる世界で人を助けることや平和の意味、自分はどう関わるかを学生たちと深く考える機会になった」と話す。
■異質なものへの不安
政府が「秩序ある共生社会」を掲げ、外国人の受け入れに関する関係閣僚会議を発足させた昨年11月、全国知事会は「排外主義を強く否定し、多文化共生社会の実現を目指す」とうたう共同宣言をまとめた。
約230万人の外国人労働者が全国34万カ所の事業所で働き(24年10月現在)、外国人住民が増加する中で外国人刑法犯の摘発数は05年以降、減少傾向にある-。宣言は数字を示して交流サイト(SNS)上に出回る「外国人犯罪が増えた」などのデマを打ち消し、外国人は「地域社会になくてはならない存在」と訴えた。政府には「正確なデータに基づく情報発信」を求め、日本語教育や生活支援などに国が責任を持って当たる基本法の制定などを提言した。
背景には人口減少と高齢化が進み、農業や介護が成り立たない地方の切実な事情がある。自治体は同時に、住民登録している人には国籍にかかわらず住民として接する責務があり、住民間の摩擦の対応にも追われる。国の議論が規制一辺倒に傾けば地域の分断を招きかねない。地方の実情に基づき、国の暴走にくぎを刺すメッセージは重要だ。
排外主義の根底にある不公平感や社会不安の本当の要因を直視する必要がある。これまで政府は「移民政策は取らない」としながら外国人労働者の受け入れを拡大し、共生策を自治体に丸投げしてきた。場当たり的な政策の穴から目をそらし、批判の矛先を「異質なもの」に向ける空気を放置すれば、不安が消えるどころか息苦しさは増すだろう。
■顔の見える関係から
2年ほど前からネパールなどの外国人住民が急増している神戸市東灘区。「外国人がごみ出しのルールを守らない」、深夜のコンビニ前で話し込む外国人の集団に「どう注意したらいいか分からない」といった相談が寄せられるようになった。調べると、日本語のルール説明が理解できない、アルバイト先に向かうバスを待つために集まっている、などの事情があった。簡易な日本語で話しかければ伝わることも分かった。
区はまず「顔の見える関係づくり」をと、自治会長らの協力を得て、地域の行事や防災訓練などへの参加を粘り強く呼びかける。
同区に拠点を置く認定NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸は、「世界とつながるカフェ」を始めた。日本語学校の留学生と地域住民がテーブルを囲み、おにぎりを食べながら交流する。ネパールの留学生ラクシュミさん(21)は、介護福祉士の資格を取って経験を積み、将来は母国で介護施設を開くのが夢だ。普段日本人と話す機会はほとんどないといい、参加者の質問に笑顔で答えていた。
単身者や高齢者、障害のある人、子育てに悩む親など、地域とのつながりを要する人は外国人だけではない。一つの輪は小さくても、いくつもつなぎ合わせて誰も取り残さない安全網を築けないものか。地域社会に蓄積された小さな共生の輪を探し、希望を見いだしたい。























