68歳で亡くなった廣尾(ひろお)すみゑさんの告別式の翌日、私たちは、すみゑさんの長男辰也さん(45)の妻、理絵さん(44)がフェイスブックに投稿した文章を読んだ。
そこには、すみゑさんが息を引き取る直前、理絵さんが心の中でつぶやいていた思いがつづってあった。
「恐(こわ)い思いも、痛い思いも、辛(つら)い思いも もうすることもないんだ お疲れ様 本当によく がんばってたよ」
理絵さんは2009年に辰也さんと結婚してからずっと、すみゑさんと同居してきた。赤ん坊がぐずると、すみゑさんはひょいとおぶって、散歩に連れ出してくれた。子育てで悩んでいると「だいたいでええ。完璧なんて誰もできひん」と言葉をくれた。
一緒に京都に出掛けたり、カラオケに行ったり。入院してからは、闘病や葬儀のことを何度も話し合った。
私たちはフェイスブックの文章を読み進めた。
「亡くなった日の夜 焼酎片手に冷たくなったばあちゃんの横に行き 3時すぎまでいっぱい泣いて いっぱい感謝を伝えた」
文章はこう締めくくられていた。「ばあちゃん ほんまアッパレでした。ばあちゃんの生き様を最期まで 見せていただき私は幸せな嫁です」
7月中旬、私たちは再び小野市の廣尾家を訪れた。奥の和室に、すみゑさんが寝ていたベッドはもうない。その隣の和室で、遺影を前に理絵さんから話を聞いた。
「本当によかったと思うのは、あのとき『もう帰ろうよ』と言ったこと」。あのときとは、5月31日のことだ。2度の手術をしたものの、医師から「もうやれることはない」と告げられた。転院の選択肢もあったが、理絵さんは「帰ろう」と声を掛けた。
それまで、すみゑさんは「帰ったら、迷惑掛ける」と繰り返していた。しかし、この時は「ええのん? ちょっとだけ家の空気、吸わせてくれるか?」と返した。
「ええも何も…」と話す理絵さんに、すみゑさんは「迷惑掛けるけど?」と続けた。「いまさら、何言うとん!」と応じた理絵さん。家に帰ったら少し元気になるんじゃないか。そんな期待もあった。
6月10日、退院の日。車いすで病院を出たすみゑさんはこう言ったそうだ。「あー、風が気持ちええわー」
2019/8/16(22)病院で刻む夫婦の時間2019/9/3
(21)わが家、大工人生の集大成2019/9/2
(20)生ききった姿に「後悔ない」2019/9/1
(19)「もうダメやな」覚悟の入院2019/8/31
(18)「死ぬ準備、そろそろせな」2019/8/30
(17)最期まで、一分一秒楽しむ2019/8/29
(16)「帰りたい」と言える世に2019/8/27
(15)自宅に戻ればみんな喜ぶ2019/8/26