私たちが初めてその家を訪れたのは、ゴールデンウイークが開けた5月上旬のことだ。神戸市内の住宅街に立つ、どっしりとした木造の2階建て。玄関を入ってすぐの和室に介護ベッドが置かれ、小林勝也さん(87)=仮名=が横たわっていた。
大きな窓から爽やかな風が入ってくる。往診に訪れた関本クリニック(神戸市灘区)の理事長、関本雅子医師(69)が慣れた手つきで勝也さんの血圧や脈拍を測る。「息、そのままでいいですよ」と、胸に聴診器を当てる。
勝也さんは前立腺がんを患っている。2年前には骨に転移していることが分かった。妻の美恵子さん(82)=仮名=と長女の3人暮らしだ。
トイレや食事の時間に立つぐらいで、一日の大半をベッドの上で過ごす。デイサービスやショートステイも利用している。
横になったままの勝也さんと言葉を交わす。会話はゆっくりだが、声ははっきりしている。
勝也さんは大工だった。築20年近くになるわが家が、最後に手がけた家だという。
「やっぱり、家は木造が一番ですわ」。あおむけのまま天井に目をやり、少し誇らしげだ。おなかの上で組まれた勝也さんの手は、色白だが、ごつごつと大きくて厚みがある。外で働いていた人の手なのだろう。
10代で工務店に入り、住み込みで大工の見習いになった。「道具を持たせてくれたのは3年目です。工事じゃなくて、基礎から屋根まで、家を建てるっていうことを教えてもらいました」
仕事の話が次から次へと出てくる。「自分は8坪の家に住んでて、66坪の家を建てたこともあるんです」
ここで、美恵子さんが会話に加わった。「夫婦で一緒にどっか行こかっていうのがなかったからね。そんなん思うころには、こんな体になってしまってね。できるだけ在宅でって思ってるんだけど…」
美恵子さんは昨秋、介護のストレスからか、突然、顔面まひになったそうだ。
1カ月半後。美恵子さんに連絡すると、勝也さんが入院したという。美恵子さんから詳しく話を聞くため、私たちは再び、勝也さんの自宅を訪れる。和室にあった介護ベッドは片付けられていた。
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