家での最期を見つめる連載取材班の元に、手紙やメール、ファクスで読者の感想が寄せられました。家でみとった人、望みながらかなわなかった人…。びっしりとつづられた経験、思いの一部を紹介します。
神戸市垂水区の女性(63)の父親は今年2月5日、老衰のため、88歳で亡くなりました。父親は1人暮らしをしていましたが、2017年から在宅療養を始めました。
今年1月に肺炎を患い、入院。2月4日に退院し、その夜、女性は「ゆっくり休んでね」と声を掛けました。しかし翌朝、父親が目覚めることはありませんでした。在宅療養では医師や看護師、ヘルパーのサポートが得られ、女性は「皆様のおかげで、父との1年11カ月の時を持つことができた」と記しています。
「それはそれは壮絶な毎日でした」と振り返るのは、要介護5の認知症の母親と要支援2の父親を介護した兵庫県加古川市の女性(69)です。2年前に94歳の母親を自宅でみとり、その半年後、97歳の父親が病院で息を引き取りました。 大変な日々ではありましたが、女性は「認知症の母が最期の時にくれた感謝の言葉、行動、今でも忘れることはありません。子どもにも、孫にも、死について感じてもらえた」と書いています。
稲美町の女性(78)は「家でのみとりは良かったのか、今でも自問自答しています」と記しました。くも膜下出血で入院した夫に、腎盂(じんう)がんが見つかりました。余命4カ月と伝えられたそうです。
家では「病院では見せなかった笑顔が救いでした」としつつ、「夫は3回も自分でチューブを抜き、病院でされていた拘束を、家でもしなくてはならなくなりました。とてもつらい思いでした。栄養剤を入れる時に苦しいのもかわいそうでした」とつづられていました。
90歳の母親が末期の胃がんで入院中という三木市の女性(60)の手紙には、在宅療養の難しさが書いてありました。「主人は仕事に忙しく、子ども、孫は関東にいて、助けてくれる人はいない。私も腰が悪く、私一人では無理かと思う」。それでもなんとか退院できる方法がないか、模索しているそうです。
播磨町の女性(75)は10年に、がんで旅立った夫のことを寄せてくれました。「家に帰りたい」という希望を聞き、主治医や看護師と調べたものの、24時間態勢で対応してもらえる往診医が見つからなかったそうです。
「1週間でも、家で自分の布団で、子どもや孫に囲まれ、過ごさせてあげたかった」と女性。「受け入れ態勢が整わないと、家に帰ることは難しい。地域によって、ずいぶんと医療の環境が違う。どこに住んでも、望んだ生き方、死に方ができる社会であれば」と求めています。
連載は今後も続きます。
2019/8/25(22)病院で刻む夫婦の時間2019/9/3
(21)わが家、大工人生の集大成2019/9/2
(20)生ききった姿に「後悔ない」2019/9/1
(19)「もうダメやな」覚悟の入院2019/8/31
(18)「死ぬ準備、そろそろせな」2019/8/30
(17)最期まで、一分一秒楽しむ2019/8/29
(16)「帰りたい」と言える世に2019/8/27
(15)自宅に戻ればみんな喜ぶ2019/8/26