私たちが清水千恵子さん(70)の病室を訪れた6月18日の夜。千恵子さんは家族や親族に見守られ、病院の緩和ケア病棟で静かに息を引き取った。
千恵子さんは2005年に乳がんの診断を受け、抗がん剤を何度も変えながら闘病を続けた。昨年1月に余命半年とされた後も自宅で暮らし、亡くなる3週間ほど前まで自由に外出していた。
「がんの宣告から14年も生きている人は少ないと思う。医学生のために体を役立ててほしい」。生前、長女香織さん(40)に献体の希望を伝えていた。
遺体は病理解剖に付され、がんの最後の状態やそれまでの治療の効果が調べられた。
得られた情報は、同じ病と闘う患者により良い治療を提供するため、役立てられるという。
千恵子さんが亡くなって1カ月になる頃、私たちは神戸市東灘区の自宅を訪れ、夫の将夫(まさお)さん(75)と香織さんに話をうかがった。
「ふとした瞬間に、帰ってきそうな気がするんです」と香織さんが口にする。
「でも、『おはよう』とか『どこ行ってたん?』とか、そういう一言がないと、『あっそうか、いないんか』って思います」と涙をぬぐう。
寝起きしていたリビングは介護ベッドがなくなり、広くなった。将夫さんが寂しそうに「入院する日まで毎朝、ここでラジオ体操してました。朝起きても、その姿がないのがね…」とぽつりと言った。
2人にあらためて、千恵子さんの闘病とみとりについて尋ねてみる。すると、香織さんは「後悔はしていません」と言い切った。
病気が分かってからは自宅で一緒に過ごし、母親の姿をそばで見てきた。がんの診断後も65歳ごろまで働き続け、終末期になってからは痛みを薬でコントロールして、外に出掛けていた。
「本人は好きなことをやったんちゃいますか」と将夫さん。香織さんがうなずく。2人ともすっきりとした表情に見える。
「自分のしたいように生きる姿を見ていたので、後悔がないんかな」。香織さんはそう言って、ほほ笑んだ。
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