「私もばあちゃんも、在宅療養のことをよく分かってなくて、『勢い』で帰ってきたんやけど…。こんなに大変なんやって」。亡くなった廣尾(ひろお)すみゑさんの長男の妻、理絵さん(44)が苦笑いしながら振り返った。
5月31日にすみゑさんに「もう帰ろう」と話をし、6月10日に退院するまでの間、理絵さんは受け入れ準備に追われた。要介護認定を申請し、ケアマネジャーや看護師と面談を重ねる。自宅には手すりを付けた。
退院の日も、ケアマネジャーや介護用品のレンタル業者らが次々とやって来る。すみゑさんは「なんや私、えらい病人になってしもうたわ」と圧倒されていたらしい。
すみゑさんが寝起きしていた和室の窓からは、子どもたちの登下校風景が見えた。近所の人は顔をのぞかせ、声を掛けてくれた。友人たちが毎日、様子を見に来た。カラオケ喫茶にも行った。
「亡くなるまでの9日間やったけど、帰ってきて良かった。病院にはない、日常があった。日常の延長に、死があった」と理絵さん。
すみゑさんの孫たちにも話を聞いた。祖母の「死」を、どんなふうに受け止めているのだろう。小学3年の色花(いろは)さん(8)は「うちらは悲しいけど、ばあちゃんが楽になったから、良かったと思った。天国から見てると思う」。
小学2年の三獅郎(さんしろう)君(7)は「こわいとは思わなかった。ありがとう、って思う。笑ってる顔を思い出す」と話してくれた。
みとりのとき、色花さんたちに「これが、おばあちゃんの生きざま」と語り掛けたのは、「めぐみ小野訪問看護ステーション」所長の北山臣子(しんこ)さん(55)だ。私たちは、北山さんが命と向き合う日々に触れたいと思った。
北山さんの父親は、進行が早いスキルス胃がんのため、32歳で亡くなったという。当時、母親は29歳で、5歳の長男と3歳の長女、2歳の北山さんがいた。
父親が病院を抜け出し、タクシーで帰ってきたことがある。家族のそばで「生きたい」と願う父親を、母親は半年間1人で介護し、最期は家でみとった。
そのことを母親から聞かされるうちに、北山さんは地域医療を志すようになった。
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