4月中旬、神戸市灘区の焼き肉店に、清水千恵子さん(70)の家族やきょうだいが集まった。末期がんで闘病中の千恵子さんは、ホルモンや牛タンを口に運びながら、「死ぬ1時間前まで楽しく生きたい」と明るく言った。
「楽しく生きる」と宣言しながらも、千恵子さんは兄や妹らにこう漏らしている。「激痛で、がんの痛みって感じになってきた」
両隣にいた夫の将夫(まさお)さん(75)、長女香織さん(40)の口数も少ない。一緒に暮らす2人はどんな思いでいるのだろう。私たちは後日、千恵子さんを交えて、将夫さんと香織さんから話を聞いた。
千恵子さんは昨年1月に余命半年を告げられた後、病院の緩和ケア病棟を予約していた。「このまま自宅で、とは思うよ。でも、末期になると深夜も未明も痛みで苦しむの。そうなると、娘も仕事があるし負担をかけるから」と淡々と語る。
同市東灘区の自宅は7階建て集合住宅の3階で、エレベーターはない。外出するには、階段を上り下りしなければならない。
「動けなくなると、外におぶって連れ出すしかなくなります。できる限り、家で過ごせるように、とは思います。でも限界がありますね」と、香織さん。
将夫さんが率直な思いを口にする。「最期は病院がいいかな。苦しむ姿はあまり見たくないし、私は結局、何もしてあげられなくなるからね」
3人の話から、自宅でみとることの難しさが伝わってくる。
千恵子さんの体調は目に見えて悪くなっていた。毎日のように激しい痛みに襲われ、食も細くなった。
いつも明るく振る舞っているが、この日は「自分でも、もう限界やと思ってるねん。死ぬ準備をそろそろせなあかん」と口にした。1週間後には、香織さんと葬儀の段取りを決めるという。
隣にいた香織さんが目を潤ませながら言う。「最期の時期がある程度分かるなら、母の思い通りに全部満足して、逝ってほしいです」
その場にいた全員が、残された時間はわずかだと認識していた。
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