「最期は家で」。私たちは取材を通して、そんな願いをいくつも耳にした。一方で、4人に3人は病院のベッドで死を迎えている現実がある。「わが家で人生をしまうことは難しいのだろうか?」。そんな問いから、シリーズ第二部の取材は始まった。
私たちは小野市で、68歳の廣尾(ひろお)すみゑさんに出会った。大腸がんで入院していたすみゑさんは「もう帰ろうよ」と家族に言われて退院を決め、自宅で家族や友人ら16人に見送られながら亡くなった。
後日、家族から聞いた話に家で亡くなることの意味が詰まっているように思う。「日常の延長に、死があった」
自宅での穏やかな死-。そんなイメージを抱いていた私たちは、在宅療養に関する多くの著書で知られる鳥取県の「野の花診療所」院長、徳永進医師(71)に会って、厳しい言葉を投げ掛けられる。
「死は痛々しく、とげとげしいもの。そこを隠して、家での死を安らかで穏やかという美談にしてはいけないよ」。これまでに約650人を自宅でみとってきた徳永医師は、容体の急変や家族の介護疲れなどで病院に再入院するケースをいくつも見てきた。
連載で徳永医師の話を紹介すると、読者の女性からこんなメールが届いた。「徳永進医師の『自宅で最期、美談じゃない』という言葉に少し救われた気がした」。女性は末期がんの母親を家でみとりたいと願ったが、突然、容体が悪くなり、病院で息を引き取った。どこで、どのような死を迎えるかは、残された家族にとっても大事なことなのだとあらためて感じる。
徳永医師をはじめ、私たちは在宅でのみとりを支える医療関係者に多くのことを教えられた。小野市の「篠原医院」院長、篠原慶希医師(69)はこう言った。「みとりとは死ぬ瞬間のことじゃない。みとりはプロセス(過程)。死に至るまでのすべてです」
北播磨総合医療センター地域医療連携室長の中井英子さん(51)は「大事なのは安心と納得。安心できて納得できるんだったら、家でなく病院でもいい」と話していた。
「死と向き合い、どんな最期を迎えたいのかを考える。選択肢はたくさんあります。そのことをもっと知ってほしい」。松山市の「たんぽぽクリニック」の永井康徳医師(53)の言葉だ。
死に至るみとりの時間の中で、本人と家族が選択を重ねながら安心と納得を覚える。そのことを私たちに示してくれたのは、6月に70歳で亡くなった神戸市東灘区の清水千恵子さんだった。乳がんの闘病が始まって14年、余命宣告から約1年半。「最期まで一分、一秒を楽しみたい」と話し、可能な限りわが家で過ごした後、病院の緩和ケア病棟で人生を終えた。見送った家族が「後悔はない」と語る姿が、印象に残っている。
死と向き合い、体調や状況に応じて選択する。自宅で過ごすのか、入院するのか。そして、残された時間を過ごす上で何を優先するのか。
私たちは今、この連載で届けたのは「生と死を選んだ人たちの物語だった」とかみしめている。=おわり=
(中島摩子、紺野大樹、田中宏樹)
2019/9/7(22)病院で刻む夫婦の時間2019/9/3
(21)わが家、大工人生の集大成2019/9/2
(20)生ききった姿に「後悔ない」2019/9/1
(19)「もうダメやな」覚悟の入院2019/8/31
(18)「死ぬ準備、そろそろせな」2019/8/30
(17)最期まで、一分一秒楽しむ2019/8/29
(16)「帰りたい」と言える世に2019/8/27
(15)自宅に戻ればみんな喜ぶ2019/8/26