小泉セツとその夫で作家の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)をモデルに描く連続テレビ小説『ばけばけ』(NHK総合ほか)が、今週から放送をスタートした。島根県・松江の没落士族の家に生まれた主人公・松野トキ(髙石あかり)は、英語教師として赴任してきた外国人、レフカダ・ヘブンと出会い、怪談を通じて心が近づいて、やがて伴侶となり激動の明治時代をふたりで生き抜いていく。
10月3日に放送された第1週・第5回では、トキの少女時代を演じた福地美晴から、本役の髙石あかりへとバトンタッチ。トキは18歳になっていた。父・司之介(岡部たかし)が商いに失敗して多額の借金を抱えた松野家は、それまで住んでいた武家屋敷が建ち並ぶ「橋北」を追われてしまう。
その後松野家は松江大橋を挟んだ反対側、「橋南」の天国町に建つ長屋の一軒で、一家4人肩を寄せ合い暮らしている。第5回からお目見えし、『ばけばけ』の物語のメインとなる「長屋のセット」を、チーフデザインの山内浩幹さんに案内してもらった。
■天国町の長屋は「瀬戸際の場所」
『ばけばけ』では、明治時代に生きた庶民の日常をつぶさに描くだけに、セットには大変こだわったという。トキたちが暮らす長屋は、遊郭の裏側に立地するという設定。第5回でも、遊郭の客が長屋の井戸端に迷い込んで立小便をするというシーンが登場した。この長屋の立地について山内さんはこう話す。
「現代で言えば、飲み屋街や風俗街のネオンが窓から見えるボロアパートみたいなイメージかなと思います。橋の向こう側を見れば武家屋敷が並ぶのに、井戸端からすぐそばを見上げると遊郭がある。第5回でトキが借金取りの善太郎 (岩谷健司)から遊郭で働かないかと誘われるシーンがありましたが、そういう瀬戸際の場所であることを、この長屋のセットで表現しています。大橋川沿いにあるこの長屋で、住人たちは『あっち(橋北)の世界に戻りたい』と日々思いながら暮らしている。そんな彼らの心情を表す舞台作りにこだわりました」
■まっさらな木材や畳を職人の手でひとつひとつ汚して…
長屋の「おんぼろ感」を出すのにも一苦労なのだと、山内さんは言う。
「長屋のセットは最初から汚れていたわけではなく、はじめはきれいだった木材を、美術スタッフの手で汚して、経年劣化と使用感を作り出しています。障子も畳も、汚いものを持ってきたのではなく、職人がひとつひとつ手をかけて、古くて汚く見えるように表現しています。実はこの長屋のセットが、『ばけばけ』に登場するどのセットよりも手間がかかっています」
「『ばけばけ』では、日本家屋が本来もつ陰影にとてもこだわっています。長屋は狭いけれど、昔の日本家屋の美しい影が出るようになっています。松野家が暮らすのは角部屋。そうすることによって建物に窓を多く作れるからなんです。朝から夕方まで、時間に応じて窓からいろんな光が入ってきて、映像効果を高めるようなセットになっています」
■松野家の「向こう三軒両隣」は傘屋、舟大工、漁師
松野家が暮らす長屋の前の路地と「ご近所」にも、「松江らしさ」を出す工夫がふんだんに施されている。
「松野家の『ご近所さん』の職業も、松江にちなんだものに設定し、彼らの暮らしぶりを美術スタッフが想像して、しつらえや小道具を作り込んでいます。松江は雨が多くて傘がよく売れたとのことなので、松野家のお隣は傘張り職人の家。傘張り職人はおそらく提灯も作っているだろうと想像して、軒先に提灯をぶら下げています。向かいは舟大工の家で、斜め向かいは漁師の家。どちらも宍道湖が近いという立地にちなんだ職業で、それぞれの生業にまつわる物が軒先に置いてあります」
「第1週からドラマのアイコンとして登場しているしじみは宍道湖でたくさん獲れるので、このあたりに暮らす人たちにとってはとても身近なもの。松野家が暮らす長屋の前の路地には、そこここにしじみの貝が撒かれています。『ばけばけ』に登場するしじみは、どれも実際に宍道湖で獲れたものを取り寄せていて、もちろんセットで使っている貝殻もそうです。雨どいから雨水が流れ落ちる場所には、水捌けをよくするためにしじみを敷いたりもしています」
■井戸の内側の苔にまでこだわった世界観 キャストが芝居に没入できるように
長屋の憩いの場である、井戸端の作りにも心血を注いだ。
「井戸の周りの柱は、よく手が触れるところが削れていたり、落書きがしてあったりします。何もないよりは、そういう仕掛けがあったほうが、やっぱり生活感が感じられるので。住人たちが長年使っているという設定の井戸の内側には、苔も貼りました。こんなところ、映像でどこまで映るかわかりませんけれど(笑)、こうした雰囲気作りも大切なんです。出演者がこの空間に入ったときに没入感にひたることで、お芝居にも活きてくるようにと願って、美術スタッフ全員がこだわって作っています」
『ばけばけ』の、「これまでの朝ドラとはひと味違った映像」は、こうした美術スタッフの細部までのこだわりにも支えられている。
(まいどなニュース特約・佐野 華英)