「ミニ永田町」
六月の神戸市議選に百貨店の課長から転身して立候補、当選した浦上忠文さん(49)の目に、会派主導の市会がそう映る。
「採決で会派ごとに一斉に立ったり、座ったり。あれは気持ち悪い。議員一人ひとりの意見がもっとあっていい」と言う。
震災直後から避難所でボランティアとして活動、市民と怒りを共有して当選した、と自負する新人議員は、二カ月後の今、議会慣習と市民の期待の二つの壁に戸惑うことが多い。
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当選後、浦上さんは市内の仮設住宅や仮設市場を回り、入居者や商店主らの意見を聴いて回る。「市民感覚と行政のズレを埋めたい」との思いからである。
支持者から、こんな声も聴いた。
「明らかに市民のエゴだと思うようなことがあれば、それを注意してあげられる議員になってください」
「成熟した市民社会のありかた」と感じた。議員が市民の要求に耳を傾けるのは当たり前だが、ときには市民に行動を求めることも必要だと浦上さんは思う。
浦上さんは今、現実路線ではなく単なる反対勢力でもない新たな市民派路線を模索する。大学教員や会社員、文化人と呼ばれる人などさまざまな分野の人の知恵を借り、政策を実行に結び付けるネットワークづくりを始めた。
八月二日、市会議場。臨時市会で初めて一般質問に立った。議会に対する市長の姿勢、市の復興計画、個人補償と緊急生活費の助成・の三項目。「できることと、できないことをはっきりさせ、市民と悩みを共有しよう」と訴えた。分かりやすい言葉遣いを心掛けた。
「賛成、反対を主張するだけの議論は、たいしたレベルじゃない。きっちりと話し合いを重ねて、自ら提案していくことが議会の役割のはず」
その夜、他会派の四人の議員から電話があった。
「質問、よかったよ。君が他会派だろうと無所属だろうと関係ない。応援する」。そんな内容だった。
「普通の言葉で真剣に訴えれば、みんな分かってくれる」と思う。が、周囲から「会派の分裂工作、取り込みを受けているのではないか」との声も聴く。
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「そんな言い方ないやろ」
傍聴席の市民から岡村昭三議員(67)にヤジが飛んだ。七月十日、芦屋市会建設常任委員会。
震災後、テント村の村長を務め、避難住民に推されて出馬、当選した。市民の関心が高い区画整理について、岡村さんは「計画決定を認めたうえで減歩率をゼロに近づける」と選挙で訴えてきたのだが、地元は計画の白紙撤回を求める請願を提出。委員会で岡村さんが「反対だけを言っていては前へ進まない」と発言したことに、ヤジが飛んだのである。
「議会は一人では何もできない」と、当選後、与党に近い会派に加入したことも反発を招いたようだ。
くだんの区画整理について、岡村さんは「少しは減歩されてでも早く地元に帰りたい、と願うお年寄りが多い」という感触を得ていた。
「住民の意見が六対四に分かれたとき、最終的には多い方を選ぶしかない」
多数決を原則とする議会。民意のあかしは数だった。が、議会が頼みとしてきた数は民意を映していたといえるのかどうか。新人議員の”洗礼”は続く。
1995/8/19