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(8-1)新産業の芽 「用地不足」が足かせに
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 震災後、神戸で企業の交流組織が一つ生まれた。

 「新産業創造クラブ」

 会員は兵庫県の公募で集まった百九社。情報通信、防災、生活環境、文化…と成長が有望視される六分野で勉強会を重ねる。狙いは、新産業の開拓だ。

 クラブの運営委員長を務める加登豊神戸大教授は、会員企業に説く。

 「今の事業規模で何かをやるのではなく、五年以内に従業員を二倍にするぐらいの技術や商売を見つける気構えがいる。雇用をつくるのは、行政でなく民間の仕事だ」

 産業界の被害総額は、建物や工場設備などのストックだけでも二兆五千四百億円。震災失業者は二万四千人に上るという。単なる復旧では、失った損害を回復できない。神戸経済の活性化も望めない。

 「新産業は、空洞化対策として以前からテーマになってきたが、震災で重みが増した。被災し、新しい芽もないのでは、神戸経済は大阪にのみ込まれてしまう」と加登教授は話す。

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 戦後、神戸市への新産業導入は、常に「土地」が足かせとなってきた。

 海と山が接近する市街地は狭く、誘致するにも用地がない。弱点は、開発行政の引き金になった。

 高度成長期には、新産業どころか、基幹産業が生産増強で市外に広い工場用地を求め流出した苦い経験もある。造成に拍車がかかった。戦後、臨海部や郊外に生み出した工業用地は、総面積千三百ヘクタールを超える。

 市は一方で、別の方策も採る。昭和四十八年、アパレル、清酒、ケミカル、食品、真珠など生活関連の二十八業種を「ファッション産業」と総称、育成を打ち出した。

 どれも地域に根付いた伝統業種ばかり。既存産業に新たな衣をまとわせた、との批判もあるが、市史編さんに携わった植松忠博神戸大教授は評価する。

 「産業界にイメージチェンジを促した。既存の資産の見方を変えた功績は大きい」

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 神戸市は震災復興計画で、ポートアイランド二期を舞台に、マルチメディア産業の誘致を構想する。

 来世紀には市場規模百二十三兆円と見込まれる成長産業・マルチメディア。しかし、米国から三十年遅れているとされる新産業の行方は、まだ見えにくい。

 植松教授の評価は、一転して慎重だ。

 「ファッション産業は素地があったが、今度の新産業は難しい。第一、用地を造成するのとは違い、行政が絵をかくことはできても、実体的に関与できる範囲は小さい」

 神戸商工会議所の牧冬彦会頭は、戦災復興期の神戸が幾多の起業家を輩出したことを例に引き「行政支援だけで産業は起きない」と言う。

 「新産業は夜空の花火じゃない。現実は、小さな芽を着実に伸ばすもの。その担い手が出なければ、復興も容易でない」

 新産業創造クラブの勉強会は来年二月まで続く。小さな芽は出るだろうか。(戦後50年取材班)

1995/8/18
 

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