六月の被災地選挙。神戸市議選の新人当選は、史上最多の二十人に上り、定数の三割近くを占めた。
中でも、無党派の新人は、土地区画整理事業の進め方、開発行政の延長となる神戸空港推進など、震災を機に浮き彫りとなった問題で市政批判を鮮明に打ち出し、被災者の支持を集めた。
同時に、市会のオール与党体制を「市政のチェック機能としての役割を果たしていない」と批判。無党派の風は、議会の在り方を問う結果ともなった。
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今回の改選を機に、そのオール与党体制を支え続けたベテラン議員が引退した。十期四十年を数えた堺豊喜さんである。
堺さんは、神戸の造船所の給食から発生した集団赤痢をめぐって、隔離所の設置に反対した市議の対応に怒りを感じ、昭和三十年の統一選に「政治の改革」を訴えて出馬、当選した。
市会では「革新」の立場を主張した。が、現実は、政策決定は絶対多数を占める保守勢力に常に左右された。妥協の必要性を痛感。ほどなく保革相乗り的な立場を取るようになる。
昭和四十一年の公共交通料金の改定問題。堺さんの所属会派は市民の立場で反対したが、最終的には値上げ幅を抑えた修正案を事前の委員会に提出。本会議では、自身が「市民に対して『反対したが、原案が多数で通過した』と報告するのは無責任」として賛成討論。修正案が可決された。
その後、保革逆転、オール与党へと市会の構図は変わったが、一貫して与党の立場を取り続けた。今、四十年を振り返って「政策に反対することより、市民のためになった」と言う。
オール与党化は市民のため、ということか。
関西学院大の森脇俊雅教授(政治学)は「特定地域や組織に少しでも利益を持って帰るため、市長に盾つくことができない。そのなかで、市政全体のチェック機能が薄れた」と指摘。特定集団に利益を持ち帰ろうとする議員を「市民全体ではなく、一部市民の代表」と言い表す。
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このことは、後ろ盾を持たない素人の政治参加を一層、難しくする。
市長選の選挙違反事件に端を発し、自主解散した川西市議会の出直し選挙で五年前”市民派”と呼ばれる四人の議員が誕生した。
その一人、前田弘子さんは、出直し選挙後に制定された政治倫理条例で、議員の資産公開を疑惑があった場合に求める「請求型」に賛成したことから、支持母体から追及される。
「あくまで資産公開の義務を主張すべき」「他の議員への説得不足」・と。
昨年の選挙で、前田さんは市民グループを脱会して出馬するが、落選した。出直し選で当選した市民派の四人は四年後、二人が落選、一人が引退、もう一人は保守系会派に加わった。
森脇教授は「根回しや意見のすり合わせなど議員の専門化が進んだ結果、政治からアマチュア感覚が失われたことも、市民の関心が薄れた要因」と指摘する。
被災地選挙で当選した無党派の新人たちは、自らの足場をどう築くのか。(戦後50年取材班)
1995/8/19