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(1-2)大都市の弱点、明らかに 生涯をかけた街がやられた
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 宮崎辰雄・前神戸市長は「情けない」と思った。

 市長を五期二十年、助役を十六年。終戦後は初代復興部長など、復興畑を中心に歩んだ。焼け野原となった神戸の将来を描く戦災復興計画づくりも事務局責任者として携わった。

 阪神大震災が起きた一月十七日。かつての「ミスター神戸市」は、神戸市東灘区の高台にある自宅のベランダから市街地をながめていた。黒い煙が何本も上がり、街が燃えていた。

 「五十年かけて築いてきた街、生涯をかけた街がやられた」

 戦災の光景と重なるような震災の街をながめながら自らの年齢と立場を考えた。八十三歳、退任して六年になる。「この街を元に戻すのは大変なことだ。自分の手でやれるなら元気も出るが…。それが情けない」

 戦災復興の土地区画整理事業では、ヤミ市撤去を指揮し、「悪代官」との看板を立てられたこともある。市長になってからは「都市経営」の旗手と呼ばれた。「最小の費用で最大の福祉」を掲げ、ポートアイランドなどの人工島に代表される大規模開発を進めた。

 「自分の力だけではない」としながら「神戸は私のモニュメント」とも語る。

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 「山、海へ行く」

 震災を機に、その開発優先の姿勢をあらためて問う声がある。

 宮本憲一・立命館大教授は、神戸市の「都市経営」が当初、中央に依存しない独自施策を展開し、福祉の充実に貢献した点など、一定の評価を下す。しかし、震災でマイナス面が現れた。

 「消防力はじめ、住民の安全・防災の側面が欠けていた。港湾が壊滅状態になるなど、埋め立て地の弱さが露呈した。下町の被害でインナーシティ対策の遅れが明らかになった」

 問題は神戸市だけではない。大都市は神戸と同じ方式で開発を進める。「震災は、日本の大都市圏の基本的欠陥を明らかにした」とみる。

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 神戸市街を見下ろすビル十八階の自室。宮崎前市長は、開発に対する批判にポートアイランド、六甲アイランド、西神ニュータウンなどは被害が少なかったと、真っ向から反論した。

 被害状況を示す市内の地図を広げながら語る。「黄色が戦災を受けて、復興事業を進めたところ。点々と被害があるが、地域全体が火災でやられることはなかった。焼け残って、復興事業をしなかった地域が今回やられた」

 神戸の街づくりが、むしろ被害の拡大を食い止めたとの主張だ。

 神戸市の震災復興計画には、埋め立てなど、震災前の長期計画もそのまま盛り込まれた。市が借金をして開発を進め、その収益で市民サービスを充実する・。再生は戦後五十年の街づくりの延長となり、都市経営の流れは変わらない。

 しかし、公共デベロッパー方式は経済の高度成長、地価の上昇が前提になる。宮本教授は「そんな時代ではない。もう軟着陸すべきだ」と指摘し、続けた。

 「戦後日本の都市政策が災害を拡大させた。その教訓は摂取されたのか」

1995/8/10
 

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