在日韓国・朝鮮人の民族祭「マダン」の様子を映し出す舞台。その寸劇は、久しぶりに出会った民族衣装姿の「彼」と、幼なじみとのやりとりで始まる。
「小林君やないの」
「その名前で呼ばれるの久しぶりやなあ」
「なんで?」
「おれ、本名に変えてん。洪(ホン)ていうんや」
日焼けした顔に、照れたような笑みが浮かぶ。
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劇の題は「在日の見た五十年史」。在日韓国・朝鮮人の人権問題に取り組む教師らが、この二十一日、西宮市で開く集会で上演する。同市立中学で数学を教える洪浩秀(ホン・ホス)さん(34)が演じる「彼」は、洪さん自身である。洪さんは四年前、外国籍としては県内で初めて、公立学校の常勤講師に採用された。
「在日という立場を考えると、公務員や大企業のサラリーマンははじめから選択肢になかった。手に職をつけろ、と親からも言われ続けてきた」
教師になることなど思いもしなかったという洪さんだが、幾つかの出会いが転機となった。
知人に誘われて行った夜間中学でのこと。日本語の読み書きを学ぶ在日一世のハルモニ(おばあさん)から「これなんて読むの」と聞かれたのだが、その真剣なまなざしから日本での生活をよりよいものにしたい、という思いがひしと伝わった。洪さんはその日まで夜間中学があるということも知らなかった。以来、訪れるたびに講師を務めるようになった。
民族運動に関係してアメリカにいたころ、各地の人種・民族団体がそれぞれ固有の価値観を持ち、堂々と生きる姿に接した。
<こんな生き方もある>
在日を宣言し、教壇に立つことで何かを伝えられないか、と思ったのである。
在日一世の父は、神戸・長田でケミカルシューズ関連の小さな町工場を持っていた。母は在日二世。父も母も今はない。小さいころから慣れ親しんだ住まいは震災で全壊した。洪さんは今、仮設住宅で一人で暮らす。
震災は、洪さんに新たな問題を想起させた。ある討論会でこう提起した。
「確かに避難所では在日に対するあからさまな差別はなかった。しかし定住の歴史の浅いベトナム人にはどうだったか。満足にコミュニケーションが取れないことで、過去の過ちが繰り返されていなかったかどうか…」
「同化」を強いる日本の社会で母国の文化を恥じる子供たちがいると聞く。在日であることさえ知らされていない子もいる。「無理もない」と洪さんは思う。ただ、自分に自信を持って生きてほしい。子供たちは特に。
「歴史や民族教育が大事です。そうしたものの上に堂々とした生き方を伝えていくことが必要なんだと思う。ぼくら在日はこれからも日本で生きていくんだから」
洪さんのつぶやきは、戦後を清算しきれていない日本への問いそのものとして聞こえないか。
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西宮の集会では寸劇とともに民族打楽器の演奏もある。学生、主婦、教師…。在日もいるし日本人もいる。洪さんは鉦(かね)のケンガリを手に、輪の中心に立つ。
太鼓の素朴な音は、高くなり低くなり、さまざまに変化するうちにやがて大きな音の塊になる。土のにおいのするその音のうねりに身を任せる瞬間が、洪さんは好きだ。
1995/8/11